20171019

 小説は書けてないです。

 『ウルフオブウォールストリート』を見たがいまいち。現実人間の自伝が原作だとあとで知ったがそのまま暴露本。超越なしポエムなしの時点で厳しいが淫蕩生活がもっと革命的ならよかったと思う。一切の教訓を持ち出さないことがこの作品の倫理なのだとは思うけど、しかし言葉を必要としないような圧倒的現実が提示されるわけでもないので散漫という印象を受けた。

 親指シフトがしやすいノーパソが欲しい。なんだかんだで普通に習得してしまったので……。スペースキーができるだけ短くて左によってると打ちやすいのだ。

20171015

 FGOの追加シナリオをやった。第一印象は激安忍法帖。もうほとんどスターシステムというかキャラクターの性質だけを残してロールプレイをさせるシナリオ作りをしているのだけど、性質とエピソードの取捨選択が安い方へ安い方へと流れていく。
 FGOにおける基本的なキャラ描写は①初登場のシナリオか幕間で「生前のエピソード」(これも本来のFate的な思想ではないと思いますが)を提示する②そのエピソードの中から抽出された要素がキャラの核―起源―本質として据え置かれる③その本質がロールプレイの中でどのように作用するかが描かれる④人情話、くらいだと思う。
 本質が実存に先行―――ってそういうことじゃないんだよなあ。例えばzeroは(ランスロットの挙動など)上で言うと①と④からなっていて(イスカンダルは②の工程があったかな)、本質を理解していないことが論者に批判されていました。んでFGOは一見本質要素があるように見える。しかしそれは表面だけの本質にすぎない。「本質は具体的なエピソードによって保証される」という発想がまず実存ベース。①から④まで全てがズレている。「先行する本質が生前の具体的なエピソードを招いた」というように善意的に読み込むことが難しいのは、多分現実の歴史への依存性が高すぎるからで、どう考えても歴史に合わせて本質を規定しているだろ(もしくは物語の要請に合わせて本質を規定している)という作り手の事情があまりにも透けて見えるからだと思う。SNは慎重に歴史から距離をとっていたということは前にも話したはず。
 キャラクターがいちいち目的的すぎる。私は憎しみに焼かれているから全てを焼き尽くす―――とか言われてもそうですかとしか返せないわけで。バーサーカーになって狂化すると本質がむき出しになるみたいな描かれ方もしてるわけですがそれって逆だよね、とか。
 僕はzero単体では全然読める小説だと思っていて、人情話がうまいなあいい話だなあ、とか思うわけだけど、FGOはそっちでも微妙に思えるのが本格的に厳しい。
 まあ別に奈須きのこが書いてるわけじゃないし奈須きのこは優しい人なので帯の推薦文には詐欺師みたいなことばっかり書くし他人のシナリオにダメ出しとかしてないんだろうしそもそも六章七章最終章もダメだったし―――僕がFGOにできることは否定と幻視しかないんだよなあ。あ、今年の水着イベントの導入とかはわりとキャラゲーとしてテクかったんじゃないかと思いますが……。

 

20171014

 絵の練習。

 客観的に見たら現状はわりと終わってるし親からは頭がおかしくなったと思われている節があるがこの半年が人生で最も努力していた時間であることは間違いなくまあまあ意義があることをしていたとも思っているので覚悟が照らし出す向かうべき正しい道をいくしかないなと思う。できれば早く努力もやめたい。

 

20171013

テキストをぽちぽち。

 『マーダー・ライド・ショー2』を見る。山なし落ちなし意味なしといった感じのホラーは漫画でも映画でも結構好き。これもまったくおもしろくはないんだけど、例えば中盤での「錯乱した被害者の女が助けを求めるんだけど変なマスクを被せられていて血まみれなので現場発見者に逃げられ、それを追いかけている途中でトラックに轢かれる」という一連のシークエンスなんかには極上感を感じた。単純に趣味が悪い……。

 十二大戦2話を見た。語り手統一されてないしテクくないしミステリでもなさそうなので続きは断念します……。しかし西尾維新はここまでキャラの造形や描き分けが厳しい作家でもなかったと記憶しているんだが……(七年くらい前の時点での記憶)。

 

 

 

20171012

  アニメ見れるテンションがあるので今期アニメの1話をいくつか見たがなんかあまりピンとこないのでまた人気あるやつでもあとでまとめてみようかと思っている。dies irae は面白い気配がしたけどどちらかというとネタバレされている感覚の方が強くて意識を閉じながら見たので原作をはやくやるべきなのだろうな……。

 画像はナナチ練習。ちゃんと描きたい。

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20171011

 スクリプトやりたくない……。M氏がプログラミングやりはじめる真の末世がくるまでプログラミングの類には手を出したくないと思っていたのだが……。

メイドインアビス

今答えが見つかるなら 全部なくしてもいい 
その声を離さないように こだまがまだ響いてる 
羅針盤はずっと 闇をさしたまま 逃げ場のない方へ 
それが呪いでも 鼓動は本物 
二度と憧れは止まらない

 ―『Deep in Abyss』

  これは本当に泣く。グリフィスのことを思い出してしまう。夢の残骸に埋もれて。過去の再解釈は時に救済だが必然的に過去の自分への裏切りで、憧れはどんな再解釈も許さない。憧れは一般に取り返しのつかなさを強くはらんでいる。アビス世界の人達は基本的に全員憧れのために死ぬことを是としていて崇高すぎる。

 人間と非人間を分かつあらゆる境界が喪失することがアビスの際立った特徴のひとつではある。生きていることを無条件に肯定するといった理路も明確に否定されているし、本格的に旧世界秩序をリセットする流れを全体として作り出しているのが素晴らしいと思う。概念操作が違和感なく発動できるかどうかは強度によるところが大きいけどこれなら終盤は概念操作し放題だろうな、と思う。ベッタベタにリコとレグが合体して帰還とかでも感動しちゃうよ多分。

 上昇負荷の設定はかなりよい。僕はジョジョ信者なのでグリーンデイの能力を参考にしたと思っているが(まあ虹村兄弟っぽいエピソードもあるし)高山病的な現実性と異界の論理感がほどよく混じり合ってかなりの説得力がある。高さの空間を嫌でも意識するのが上手いと思う。

 好きなキャラはまあナナチ……。ナナチを好きにならないことは相当難しいのではないだろうか。かわいいし……。

20171010

 RPGツクールのバンドル買った(絶対いじらないが……)。エロRPG案としてはエル・トポみたいなエロRPGと主人公と彼女が二人で旅するNTRRPG案があります(ない)。

 メイドインアビスのアニメを最終話まで見た。大変良かったが少し整理しきれていないので(ものとしてはほとんどすでに知っているもので出来ていたと思うが、完成度が極めて高い)後日。ナナチ~。

 

20171009

 最近少し気持ち悪かったのでデフォルトのはてなスターは消した。名前ありでも匿名でもコメントや質問があれば(多分)答えます。

 今日は特になにもできず。画像は背景に描いたかっこいいカラスです。

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20171008

 絵の練習。アニメ。

 プリンセスプリンシパル最終話まで。プリアンはぜんぜん良くないカプだと思った(僕と目指しているものが違うのだろうが)。カップリングの基礎が過去にしかなくて、当人たちにとっての決定的な過去が揺らがないので関係性にもゆらぎがない。二人の会話やエンディングを見ると、過去にはもう戻れないという一般的な価値観が採用されていないことがわかる。それ自体は別に悪いことではないと思うが、それを通しきれるほど魅力的な二人かというと……(ループ)。アンジェの恋愛脳が作中のデフォルトでプリンセスは世界のことを考えていて高貴、くらいの描写に見えたことも気になった。最終話のプリンセスの演説の虚無感。なんか世界の過酷さとキャラの認識がずれてる印象がずっとあって(ドロシーパパのエピソードとか)、それが最後には世界の方がキャラの認識に合わせて甘くなる、というようになし崩し的に展開したように感じた。

 メイドインアビスを五話まで見る。普通に面白い。《だいたいハンターハンター、ただしいきなり暗黒大陸編》みたいなっ! 

 

20171007

 時間に対する感覚をできるだけ曖昧にすることでマルチタスクへの欲望を押しとどめなければならない。ソシャゲがコンシューマに比べて邪悪な理由の一つは人間の時間感覚を鋭敏にすることなはず。例えば倍速も時間を曖昧にするために取れる一つの手段でありえる。端的に言うと四倍速になると映画を見始める前にその映画が何時間あるかを確認しなくなる。これが良い。

 十二大戦のアニメ1話を見た。これもしかして十二話で一人ずつ語り手変えるアニメ化前提の企画だったりするのかな(原作未読)。テクさに振ってるっぽい気配がするので何話か見てみようと思う。

 あとプリンセスプリンシパルのアニメ10話まで見たけどあんまり面白くないw 毎回話のツイストを入れるのとか本当えらいと思うけどいい人たちの人情話に特化しすぎていてポテンシャル出せてない感じがする。話数カツカツなんだとも思うけどカウボーイビバップのマッドピエロ回みたいなノイズが入ってたりアンジェやプリンセスがもっと限界でいい人になりきれてなかったりするといいような気がするが……。

20171005

 小説、いくつか得点ポイントを決めてそれをいかに記述の中でクリアしていくかのゲーム制にしたほうが単に書くというだけなら書きやすい……。得点ポイントの配置がプロットと考えたほうが物語の連なりと考えるよりは実用的な気もする。キャラクターとは。

 寝取られは人間の弱さを前提にしたものより人間の強さを前提にしたもののほうが好ましいが、たいていのものは前者であるという問題がある。寝取られから快楽落ちを追放する運動を孤独に起こすしかないというのか。

 アニメUQ見た。ネギ先生の幻影とかは最初からネギま2のタイトルでやってたらこうしていたという赤松健(構成に参加している)の意図の反映ではあるのかな。チャオリンシェンの出番追加とかでもしない限り正直ネギま2要素にはあまり興味ないが……。続きを見れるかどうかはわからない。

 綾瀬夕映麻帆良祭で過剰な負担を押し付けられており普通に可哀想なんだが綾瀬夕映は僕自身だったのでその可哀想さは一旦キャンセルされやり場のない感情が愛着になっていったんだよな~と思う。多分僕が今はじめてネギま読んだら図書館組とかは「重い上に激安や……」とか思って龍宮真名とチャオリンシェンでしょ常考などと言い出す気がするが好きになるってそういうことじゃないんだよな(熱血)。