20170825

 今更ながら自分があとから「何もしていない」判定をする行動を特定してそれにたいして制限を加えることが必要だということが分かってきた。たとえばソシャゲやインターネットは殆どが何もしていない判定に入る。読書や絵の練習は八割くらいは何かした判定をできる。日記を書くことはかなり微妙なラインだがセーフ。何か書こうとして書けないのはまあアウトだが期待値にかける。そして最も明確に何もしていない判定をするのが生活で、生活をしないわけにはいかないので生活をできるだけ縮減するか上質な生活厨になって生活を何かした判定に加えるしかない。もちろん前者でいく。

 時間の非実在性を少しだけ。時間否定のロジックは安藤というかパーフィットの人格は存在しないという話と論理がかぶってるっぽい? 永井も自我論と時間論は同根と言ってるし。いやこれは読めてないのを脳内補完してるだけだなおそらく……。