20191012

別に『ジョーカー』を心から擁護するつもりもないが(批評的に優れているとは思っていないしシンクロするかしないかで評価が大きく分かれてしまう隙がある映画だろう)、「狂気が感じられない」とか言ってる人は最初から目当てのものを間違っているというほかないと思う。そもそもダークナイトにおけるジョーカーとかもたいして狂気ではない。アメコミはあまり数を読んでいないが、そっちにおけるジョーカーもたいていはバットマンとの比較において「カオス」や「道化」のような要素に還元される存在であって、ジョーカーを批判しているような人が求めているであろう「狂気」にはとても達していないだろう(ダークナイトのジョーカーでいいんだったらいいと思うけど、それなら結局低レベルでの程度問題だと思う。ちなみに私はあまりダークナイトは好きではない)。作品内で描かれる「狂気」の質を評価して一番狂ってるのを評価するやつが一番偉い、みたいなのはその領域で勝負している作品に対して以外はあまりやらないほうがいいと思っている。もちろん、誰しも同じようなことをやる。森博嗣に比べて野崎まどの天才描写はカスだよねとか私も言っていたし今でもそう思っている。とはいえ、野崎まどは一応天才領域で勝負しようとしていたはずで(今は知らないけど)、ジョーカーにおいては狂気や理解不可能性が一切志されていないことが明白なのだからそこを批判することは野崎まど批判以上に無意味だろう。まあはっきりいうと目に入ったツイートが苛ついたから書いてるんだけど、「安全圏」にいるのは映画よりはあなたたちのほうでしょうと思う(完全に階級意識でとても嫌だが……)。