20200109

今年に入って読んだ漫画とか。試験的に普段書いてるメモを整形してほぼ転写。

ジャンプ本誌で気が向いたら読んでいた『鬼滅の刃』を13巻までまとめて読んだ。普通に面白い。ハンドシェイカーを少年漫画向けにチューンすると鬼滅の刃にかなり近いものになると思う。一歩間違えると彼岸島的なしょぼさや進撃の巨人的な誇大妄想になりそうなところを抑制しているバランスが素晴らしい。しかし無限列車が終わって覇権を取り始めたあたりから雑になっているような気がする。

ジャンプ本誌で一話から追っている『チェンソーマン』を最新刊までまとめて読んだ。全面的に素晴らしいが、この漫画が今後姫野先輩とアキくんを超えることができるのかが心配だ。

『サル・マネー』。駄菓子みたいな漫画。

『SHAMAN KING THE SUPERSTAR』3巻まで。武井先生はまたどうしようもないところで戦ってるなあという感じ。しかし資本主義との戦いは敗戦処理あるいは戦後のパワーバランス調整でしかない、という認識は正しいと思う。とはいえ、3巻まで読むと迷走してる感しかないのはわかる。正直何の話してんだよって感じではある。このまま迷走するよりは直球で本題に突っ込んでほしいんだが、武井先生の真面目なところが好きなので応援しています。

『闇麻のマミヤ』1巻。サバサバ系美少女(福本キャラ)が主人公なんだけど、まあかわいくない……。この路線なら西条真二にでも書かせたほうがいいのではないか。

宝石の国』10巻。大変なことになっている。

ガラスの城の記録』と『日本発狂』。今年の目標として手塚作品を真面目に読むことがある。既読。普通。

『天国大魔境』3巻まで。微妙。まあまあ面白い。けどこの作者のセンスが苦手。

『可愛いだけじゃない式守さん』1巻。誰かが褒めてたような気がする。でも〇〇さん方式で、面白くない。なんか、〇〇さん方式というのは単体ではなく〇〇さんを大量に読むことによって現代ヒロイン類型の布置を埋めていくような形式になっているような気がする。なんか「新ジャンル」みたいな……。そうでもない? これは、かわいいだけじゃなくてかっこいいヒロインを書くんだけど、まあそれだけ。顔マンガで4Pツイッター漫画だなあとしか思えないな。ちょっと挫折して二巻は一瞬だけ眺めた。なんか主人公の男がメス化している。ギャップ萌えのはずなんだけど、明らかに作者の性癖というのはギャップではなくて決め顔して決め台詞いってるかっこいい女にあるわけですよね。ギャップ萌えはパッケージングのために養成されていて、結局本質のほうが「かっこいい」に固定されていて、しかし手癖というか展開のためにギャップ的な作劇は惰性で継続している。かわいい→なにか起こる→かっこいい→キュン……。の四拍子ですべてが展開している。そこにそれ以上のなにを見出すことができるのか。

『僕の心のヤバイやつ』2巻まで。別にそんなに悪くはない。二者関係にフォーカスしたラブコメとしては上々の部類に入るしキャラがかわいい。が、毎週騒ぐほどのことではない。騒ぎたくて騒いでるんだろうなとしか思えない。二者間の距離を描きたいらしい。キャラリセットをしない。怪我をしたら次の話でも怪我をしっぱなし。うーん。しかし、ラブコメの距離というのは行って戻っての振幅を大きくしつつ、最終的に少し離れたところから加速して突破するものだったような気がするんだけど、これはわりと等速に、あるいは減速しながら近づいているような気がする。そもそも〇〇さんやその類型はシチュエーション(恋愛)漫画であってラブコメではないような気もする。大塚英志は80年代にエロ漫画が細部に拘泥しはじめてることを批判していたような気がするが、二者関係の細部に拘泥し始めている恋愛漫画を批判したい。やっぱ減速=細部より加速なんだよな。ナンパ男という装置。一応好人物ということには最低限しているが、それでいいのかというと……。傘回、なんだろうなー。乗れない。しかしまあ、中二病要素はほとんどないよな……。図書館でお菓子を食べるな。

『一日三食絶対食べたい』1巻。どうしようもない生活漫画かと思ったら、文明崩壊後労働漫画だった。しかしなぜかポリコレ推し。文明崩壊後にポリコレをするというサーカスティックな狙いがあるのだろうか。悪くないがガシガシ続きを読む気力はない。

『HIKARI-MAN』を6巻までなんとなく。山本英夫、殺し屋1がピークとしかいいようがない作家だ……。願望充足なのは問題ないとして、その精度が問題だ。2017に長い間休載してるんだけど、その間にダークヒーロー人情成長モノにすることに決まったんですね……。全然おもしろくないし、もうこの作家の新しい漫画を読むことはないだろうなあと思います。

『ソマリと森の神様』1巻。私的地雷ランキング上位の人外子育てモノだった。なぜこのジャンルが地雷かというと、人外と呼ばれる名誉人間の存在や、善良な存在と接することは人を善良にするという価値観がつらいからです。人外子育ては、両方成人ではないのである種のはぐれもの同士が寄せ集め合う展開にはなるのだが、そこに「俺たちは他人より優れている」という屈折した感覚があれば普通に読めるような気がするな。上位種の傲慢で高貴な子供を、ワナビニートが育てるとかどうですか? わりといけるような気がする。でもなんかオリジナルエロ同人っぽい設定なような気もする。実例あったっけ? 前にコミックフラッパーでやってた『少女、悪魔となるには』は人外子育てのバリエーションでありつつ面白い漫画だったが、最終的に人外が人外を貫徹した結果二人の関係が破綻して終わったはずだ。やっぱり破綻なんだよな。

『さよならミニスカート』2巻まで。このマンガがすごい一位らしい。改めて本当に信用できないランキングだ。トラウマでスカートを履かなくなった元アイドルの女の子が主人公。ケータイ小説みたいな未来における喪失を予感させながら語りかけるようなモノローグが一話の終わりに入っている。基本的にケータイ小説であると思いながら読む必要がある。なんだかなあ。ミステリーの一番だめな活用に思える。謎ではなく疑心、推理ではなく憶測によって物語を恣意的にドライブしようとすること。ミステリーではなくサスペンスなのかもしれないが、それにしては悠長だ。政治的に正しい主人公と政治的に正しくない敵役が作中に登場し、政治的に正しい物語が展開される作品は、当然ながら政治的に正しい。悪い言い方をすればマッチポンプの正しさがある。しかし、こういった正しさを超える圧倒的な正しさがあったのではないか。私の高校には女子が一学年100人くらい?いたが、たしかその中に私が気づいた範囲で二人くらい制服のスカートではなくスラックスを履いてきた人がいたと記憶している。その人たちはしかし一年次の途中くらい?からはスカートになっていたはずだ。当時の私はその人たちが痴漢にあったのかなとかなにかを諦めたのかなとか特別考えることはなく趣味なんだろうなあと思いながら過ごしていたので、この漫画のような啓蒙レベル1に価値がないとは思わない。しかし啓蒙レベル1を今読んでも一切面白くないということもまた事実だ。

『喰フ女』4巻まで。甘詰留太の絵は比較的好きだったんですが、この漫画は絵も話も完全に駄目な方向に行っていると思います。山口ミコト押見修造的な、ペラい闇とペラい性をそのペラさこそが人間だと開き直りながら勢いで乗り切る、そういう漫画だと思う。わりとがっかり。バトロワ漫画版というのはこの路線を暴力描写と作画の洗練に振り切りつつ比較的成功した前例として捉えることができる。あと完全に忘れてたメバエで男とくっついて炎上したやつが載ってて笑ってしまった。

『ゆりあ先生の赤い糸』3巻まで。丁寧でわりとよい。生活感がありすぎるけど。