20200110

『居るのはつらいよ』読んだ。明らかに私向けではないし半端な小説だなーと思いながら読んでいたが最終章はさすがに熱い。でもこの本でいうような「いる」ことの肯定はまあ無理だ。「する」ことと「いる」こと、こころとからだがイコールになるような局面があって、それは睡眠や食事や性行為やタバコや大麻であるのだということが示唆されていると思うのだけど、私はそれでいいとは思っていない。それよりはたとえば「やりたいこととやるべきことが一致するとき世界の声が聞こえる」という精神偏重の強迫観念のほうがずっと好ましい。まあこう思うのは私が今は健康だからかもしれないが……。

 

昨日のに最低限注釈。適当なメモを上げると注釈が必要になる。普段読み返さないものを読み返して反省する効果はあるので悪くはないのかもしれないが、メンタルにはあまりよくないな……。普段は投稿する前にこういうセルフチェックをやってるうちにめんどうになって投稿するのをやめていることが多い。

 

進撃の巨人をちゃんと読んでいないのに誇大妄想と書いてしまった。ヒロイズムが暴走してる印象とやたらと壮大なスケールに展開してるらしいという噂をあわせて適当に書きました。

「ラブコメの距離」については、基本的に二者ではなくて三者以上のマルチヒロインであることが(たとえ一強であっても)ラブコメの重要ポイントだと思っているので、三角形の中で片方に近づいたら片方と遠ざかるような局面を想定している。最初は遠ざかる傾きが小さくてもどんどん大きくなるイメージ。遊園地デートダブルブッキング回が好き。例外が多いので完全に俺理論。

ポリコレ(PC)という言葉はおそらく本来は「作者の政治的偏見が作品に反映されているかどうか」一点のみによる評価軸として使用されるべき概念だと思われる。が、メモ書きだと作中で偏見や社会的に望ましい価値観が扱われていることなども区別せずにPCとして書いてしまう場合が多い。

とはいえ、この混乱にはPCについて「偏見を廃し現実を反映した描写」(人種構成比描写など)がされることと、「社会的に望ましい描写」(差別批判描写など)がされることにどのように比重を置けばいいかが自分でもよくわかっていないという問題が原因としてある。基本的には前者だけがPCなような気もするが、実際には後者についての話がされていることも多い。どちらにせよ前者については現実の反映にあまり興味がないこと、後者については作品の社会からの独立性を信じているし反社会性はどこかで必要だと信じている(ので結局塩梅の問題だと感じている)ことによって、私はPCを全肯定することはできていない。

ポリコレ推しと書いた『一日三食絶対食べたい』は作中で「残業が強制されない」とか「ほしくない人に酒を飲ませない」といった価値観が前提となっており、それが気になるのは「気候変動によって文明が崩壊しリソース不足で過酷な労働に人々が従事する比較的ノーフューチャーな世界観」と調和していないような気がするからだ。前段でいうと後者の描写が適当にされているように感じた。もしかしたら作品世界は22世紀であって、文明崩壊以前に人類の倫理が進化していたということなのかもしれない。それならば喜ばしいのだが、ちょっと楽観的すぎるような気もする。

圧倒的な正しさってなんなんだろうな……。

バトロワ漫画版はもちろんテーマ的には一貫して愛と正義の素晴らしさを称揚する漫画だが、それは多分に原作要素であって、漫画表現的な核はやはりペラい闇とペラい性をそのペラさに開き直りながら勢いで乗り切るところにあったと思う。その(アン)バランスがよかったという話なので、純粋なこの路線は単なる露悪に陥り袋小路な気がする。