『継母の連れ子が元カノだった』4巻まで
少しだけ丁寧に生きざるをえないのかもしれない、ということでとりあえずブログを書く。
『継母の連れ子が元カノだった』を4巻まで読んだ。
作者の紙城境介は22歳のときに第1回集英社ライトノベル新人賞優秀賞(2014)でデビューしている。受賞作『ウィッチハント・カーテンコール』の著者紹介には「影響を受けた作品ツートップは『うみねこのなく頃に』と『JDCシリーズ』」と書かれていた。実際、流水のようなラジカルな言語的操作や竜騎士のような突き抜けた表現力と重層性こそないものの、少し気の利いた特殊設定ミステリにややうみねこっぽいやりとりをするキャラクターが出てくる作品で、わりと面白い。しかしこれは単純に売れなかったようだ。その後も一作集英社からラノベを出すが(読んでいない)、それもおそらく売れておらず、死んだかと思われたところでカクヨムに書いていた『継母の連れ子が元カノだった』がカクヨムWeb小説コンテストで大賞を取り書籍化→このラノなどでも取り上げられてめでたくアニメ化決定、という流れのようだ(リアルタイムで追っていないので間違っているかもしれない)。
この作品に手を付けたのは「現代ラブコメの研究」「ラノベ作家の魔改造について考える」「竜騎士フォロワー(公言している作家は比較的少ないように思われる)の動向観察」など複数のフラグが立ったからだが、これらの目的はあまり達成できていない。
内容的には『元カノ』『連れ子(義姉弟)』『幼馴染』『友達』といった概念を操作しつつイチャイチャ会話とシチュエーションを展開していくもので、パッケージとしての完成度は高い。顧客が求めているもの、という印象を受ける。
この作品には、個人に帰属する属性よりも関係性の概念によってキャラクターを記述しようとする傾向がある。作者は自称CP厨だが、CP厨の思想なのだろうか?(私はそれをあまり理解していない) 本作でも陽キャ・陰キャといった縮減された属性概念は残っているがそれは操作や価値判断の対象にはなっていない点がメタラブコメとは異なるだろう。女性主人公兼ヒロインの結女は「高校デビュー」をしているが、一貫して陰キャの本質を保っているし、それが問題になることはない。
属性はいくつあっても問題ないが、関係が複数化すると混乱と衝突が生じる。その衝突を利用して関係を成立させる価値中立なネットワークそのものの強度を上げていくのがこの作品の基本戦略だ(しかしそれはごく一般的な戦略でもある)。4巻のラストは、「元カノ」で「連れ子」の結女が二重関係を解消(止揚?)しようと決意するところで終わる。
視点人物の入れ替わりが目まぐるしい作品で、4巻時点で5人の視点が描かれているが、彼らの思考形式がほぼ同一であるという問題がある。基本的に全員、元カノ/元カレのことを今でも好きなんだけどそれを表明することは難しいので斜に構えるがたまに素直になる、という思考形式を守っている。2巻から登場する東頭いさなは元カノではないので少し外れているが……。
複数視点は個人に帰属する属性を無力化し、関係性のネットワークだけを強調する。基本的には「私」はフラットな存在であり、「属性」とは相性が悪い。いわゆるヒロイン視点のメリット・デメリットの多くがここに起因している。
ここで想起するのは、五等分の花嫁で最終的に五つ子の内面の差異がほぼ消滅していたことや100カノで恋太郎ファミリーが群体めいたカルト集団になっていることだが、なんらかの結論はまだ出せない。正直、別にラブコメラノベの流れとかと全く関係ない作品なんじゃないかなという気がしてきているんだよな……。
すでに消化試合感が出ているが続きも一応読んでおきたい。
雑感。
流水感・竜騎士感は皆無。
東頭いさなというやつが化物語の最低の部分を継承しているようでかなり厳しい。「振られたらもう振られないので最強になる」という思想のもとにベタベタしてくるやつなんだが、神原駿河とか阿良々木妹とかを思い出させるだらしなさだ。
しかしおそらく、いさなの造形目的は「彼女」を経由せずに「元カノ」になる、というようなところにあるはずだ(いさなは主人公の両親に元カノであると誤認される)。「彼女」や「元カノ」の概念を揺さぶることにはまあ失敗しているのだが、いさながいなければさらに読めないだろう。
死ぬほど適当な「自称フェミニスト」揶揄とかがさりげなく出てくると最低のライトノベルを読んでいるな、と嬉しくなってしまう(?)。
川波の恋愛ROM専という設定は失敗しているだろう。
3巻ラスト、告白絶叫大会問題。
主人公が「笑わない数学者」を修学旅行先で読んでいる、みたいな自意識の温存方法はいかがなものかと思う。私は魔改造を受けてもなお残る自意識の可能性を信じているところがあるが……。メタラブコメとはそれが顕著に現れたジャンルでもあっただろう。実はこの作者、2020に星海社で新本格っぽいのを出している。紙城はカクヨムでのセカンドデビュー?という経緯をたどったこともあって、編集者主導の魔改造ではなく自主改造的な要素が強いように思われる。削られるべき自意識=新本格性は温存されたまま作品別に分割された、という可能性があるので星海社の作品の方は読む予定。