20170825
今更ながら自分があとから「何もしていない」判定をする行動を特定してそれにたいして制限を加えることが必要だということが分かってきた。たとえばソシャゲやインターネットは殆どが何もしていない判定に入る。読書や絵の練習は八割くらいは何かした判定をできる。日記を書くことはかなり微妙なラインだがセーフ。何か書こうとして書けないのはまあアウトだが期待値にかける。そして最も明確に何もしていない判定をするのが生活で、生活をしないわけにはいかないので生活をできるだけ縮減するか上質な生活厨になって生活を何かした判定に加えるしかない。もちろん前者でいく。
時間の非実在性を少しだけ。時間否定のロジックは安藤というかパーフィットの人格は存在しないという話と論理がかぶってるっぽい? 永井も自我論と時間論は同根と言ってるし。いやこれは読めてないのを脳内補完してるだけだなおそらく……。
20170824
絵の練習をした。
クロスロオド再読もした。
夏なのでプリズマティカリゼーション。線画一時間塗り二十分背景とか三十分くらい。もっと丁寧にしたい。
20170823
今日はダメだったので絵のアップロードはできません。
なぜ僕がエロゲでヒロイン視点が入るとやや身構えるかというと大抵の場合ヒロインを神格化(他者化)しているからなのだが寝取られはヒロインを脱神格化することがゲームの目的になっている場合が多いためヒロイン視点を入れられることが多いのが個人的には問題だよなと思った。というか実践的な問題として寝取られる主人公視点だけだとエロシーンが入れられない。主人公視点を一貫させつつエロシーンを入れるためにビデオレターは合理的。脱神格化ということはヒロインの他者性が消えてもう主人公になっちゃうということなので二重人格寝取られとかはそこそこ論理的に構築できそうだよなと思ったり(っていうかweb小説くらいまで含めてさがしたらありそう)。
日記になってないが脳が終わっていたのでこれだけです。
20170821
今日は本当に書くことがない。
一日に二つ以上のことをしようと考えないことが何より重要。結果的に色々してしまうのはいいとして、朝起きた時点から二つ以上を目論むとほぼ無理というのが経験則。今日は無理だった。
20170820
カフェインなしに身体が慣れた気がする。しかし眠い。
やはり生活自体が嫌いなので生活についてなんて覚えてられないし書いてられないな。日中に二回寝た。
マクタガートと永井均の『時間の非実在性』を読み始める。何周かしないと全くわからなさそうだ。僕は主観的な未来とは現在に畳み込まれた予期と愛着のパタンであると信じています(安藤理論)。過去について統治と功利では多分言及してなかったけど端的に愛着のパタンという感じなのかな。マクタガート本は出来事を単位にした客観的時間の話をしてるんだけど現在について考えるために主観を仮に置かないといけないのが最初の意味不明要因っぽい。
漫画を何冊か読む。諸星大二郎『未来歳時記 バイオの黙示録』が良かった。ベタではあって火の鳥とかに近い話だと思うが新世界感とか地獄感とかが圧倒的に強い。新世界倫理到来の前段階に狂ったロボットの話が入るところとかもやはりグッとくる。
20170818
昨日は十二時半くらいに寝て今日は八時くらいに起きたはず。
午前中にコーヒーを飲むのを忘れた結果、昼過ぎから深夜まで頭痛。カフェイン抜きした方がいいんだろうとは思うが苦しい。
漫画を何冊か読む。かずみ義幸『うれしょん!(1)』と山本崇一郎『あしたは土曜日 春・夏』がよかったかな。
うれしょんはポルノですが情熱的だしあしたは土曜日は丁寧なのに加えなにか絵がキマっている(気がする)。高木さん一巻はかなりダメだと思った記憶があるのだけど。
今日はほかには記憶がない……。あ、セブンズストーリーというソシャゲの話をしている人を見たので少しだけやった。編成と育成が面白くない気がするのでまともなSRPGとして遊ぶのは厳しいのではないか。
昨日に引き続き何了了。あひる口はわりと好き。やはりポーズとらせると上手く描けないですね……。手足がわからない。
20170817
今日は書くことがない。厳しい。昨日は十二時すぎに寝て今日は六時半くらいに起きたが、午前中はあきらかに能率が無なので昼まで寝るのが正解では?と思うが多分まちがい。
FFT。ライオネル城城内で不浄王キュクレインを倒した。
無限のリヴァイアスを見直している。4話まで。なんか少年少女が頑張ってるだけで何も言えなくなるよね(老人か?)。しかしサバイブ感とかもだいたいこの頑張ってるだけで何も言えない感のことだからなー。リヴァイアスは宇宙空間に浮遊する美少女がセカイを救おうとしているところが良い(党派性)。
第年病『5秒童話』が大変良かった。ヒロインは今年新しく読んだ漫画でベスト。というかかなり性癖狙い撃ち感があり、ストーカーが正しいということを久しぶりに思い出した。展開は終盤ゴタゴタしているがミステリは本筋のカモフラージュっぽいので特に問題ではないかなと思う。
何了了の絵です。
20170816
最近S2さんやMK2さんが日記を書いているのを見てやりたくなったので日記を再開しようと思う。
昨日は十一時すぎに寝て、今日は六時半くらいに起きた。
午前中はあまり集中できずに絵を描いたりFFTをやったり。
ライオネル城城門前でガフガリオンを倒す。 細かい展開は忘れているが戦争のイメージ自体がFFTとベルセルクで形成されているので馴染む。
昼食を食べて少し寝たあと、ちょっとした用のために郵便局へ行き、ついでにミスドで読書。『バカの壁』を流し読み『ドグラ・マグラ』(八年くらい前に一回読んだはずだが記憶なし)を半分くらいまで読み進める。
ドグラマグラは面白い。正木先生の描写はたいていの天才キャラよりいいし、作中の全ての状況を用意しておきながら信者や患者を残して一人で自殺してるという動きが典型的な強キャラムーブ。全体状況の中心にあって他キャラの精神や行動を強く規定するキャラはやはり好きで、そういうポジションさえ用意すれば茅場晶彦くらいでも神感(=天才美少女感)の片鱗は生まれる。胎児の夢とかも語りは面白いしワードにはったりが効いていて圧倒的に読める。
当然この小説を読んでいると狂ってれば狂ってるほど強いというような認識をしてしまうのだけど、視点人物である主人公がどの程度狂っているのかがなかなか見えてこない点がかなり緊張感維持に寄与してる。
夕方から適当にテキストを打ったり絵を描いたり。実は親指シフトでこの日記は書かれています。
親指シフト。七月二十五日くらいに練習を始めて、今は最速で150字/分くらい。練習前に測ったローマ字入力が200字/分くらいだった。まだ集中していないとローマ字で打ってしまったり手が迷ったりするがこの感覚なら多分しばらくすれば無意識にもっとはやく楽に打てるようになると思われる。
手の動き自体は減る。負担はどの程度変化しているか分からないが増えてはいない(多分)。
ググるとわかるが親指シフトを勧めるブログのたぐいはたいていめちゃくちゃ頭が悪そうで練習意欲を減退させるのだけど、まあそんなに悪いものではなさそうだという感想。
タイピングをしてると手が痛くなる人や今までの自分を全部変えたくなった人以外には勧めません。あとローマ字はかなり忘れる。
コウメ太夫という人の芸をYOUTUBEで初めて見た。面白かったかな。多分。自信ない。
まな『THE IDOLM@STER』(1) 縁山『だいたいめる子』 麻生我等『虐殺器官』(1) 読み。
める子がかわいい。
久しぶりにやったら日記書くのに一時間近くかかったんですが。もっと適当に自己検閲なしで書けたら明日以降も書く。
20170211
午前八時頃に起きて朝食を取るためにガストへ行く。前日に家に食料がない状態を用意しているので出かけざるをえない。どうやら二~三日連続で引きこもっていると体調が悪くなる身体になってしまったようだ。身体が弱くならないと健康管理とか無理だよなーと思う。ライフハックに詳しい人はたいてい生活が苦手なのであまり信じ込まない方が良い。
ガストでは本を読む。ブギーポップロストメビウスと戻り川心中。ロストメビウスはエンペロイダーで参照されてたので読んだ。やはり魔女関係の設定を放置している現在の方向性は正しいと感じる。複数の世界のメタ秩序闘争の話になってしまうと世界内の話がどうでもよくなっていくから。ユリイカの上遠野浩平特集に「なぜ上遠野浩平は堂々とジョジョをパクるのか」という評論を書くべきだと思った。連城三紀彦はなんだか西尾維新を洗練したような印象だった。例えば天才詩人のナルシシズムを恋愛と語りで隠蔽する短編における情念の誤作動の感じとか。西尾維新の方が好きだけど。
夜に出かけようと思ったがやや調子が悪いのでやめた。人と話す予定は基本的に一週間に一度なので大事にしたい。
悪趣味からとある謝罪動画を途中から見た。ノーコメント。
図書館で本を借りてガストと自宅を行き来する生活を一ヶ月半ほど続けているが、あと五年くらいはこのままで……。
20170101
あけましておめでとうございます。
今年の目標は絵を描くことと小説を書くこと、それと嫌いなモノをウォッチするのをやめることです。1月の目標は紙の積み本をできるだけ減らすことです。
「能率」か「迷いか」の二者択一では迷いを選ぶという心持ちでやってきたが、最近は迷うことは自由とあまり関係がないような気がしている。家では「自由意志が存在しないというのは嘘!」などと唱えながら行動を始めたりしてしまい自分でも軟弱すぎると思うが、能率とかも考えて今年はやっていきたい(文がふわふわしているな……)。
去年の後半からは「まあ100年後には自分の正しさは証明されるし……」とか「どうしようもなくなったら自殺すれば余裕でしょ」みたいな考えが常にあり本当によくないので現世利益を祈願したい。現世利益としての圧勝。
聲の形
罪悪感とかで中二病(=周囲とズレた世界認識)になっているのが石田くんなわけだけど、その中二病的な側面に注目したときに聲の形は納得がいく話ではなかった。当然ここで言いたいのはあの剥がされるためだけに存在するバツマークの無残さについてであり、まあ原作が悪いんだと思うけど、あの世界解釈を僕は許容できない。世界の声が聞こえないという普遍的かつ本質的な問題を中二病が治りましたみたいな感じで処理するのは無理があるでしょう。懸命に生きている人々やコミュニケーションのあれこれを描けているかもしれないが石田と世界のことを考えきった映画だとは思えない。
某氏とかも書いていたが全体的に暴力が支配する世界であって、その中で暴力に対して自覚的になってしまった石田くんの話であるとは言える。だからあのバツマークは世界の暴力と対峙する西宮と同種の障害であるようにも思えて、やっぱり最後にぼろぼろ剥がれていくところの脱力感はどうしようもなかった。