20211128-20211202

月曜に眼科に行った。左目の網膜がちょっと薄くなっててあやしいけどとりあえず問題なしとのことでした。あんまり安心じゃないが。

いままでは適当な順番で感想を並べていたけど、上から順に印象に残った作品について書いていくことにする。


『白昼夢の青写真』
2020年発売で一番評判がいいエロゲ。
確かにめちゃくちゃウェルメイドなセカイ系エロゲなんだけど(サブタイトルTHE GIRL WHO'S CALLED THE WORLDて)、小利口すぎるところがある。
まだ考えがまとまっていないのでまとまったらなにかを書くかもしれない。

那覇潤『平成史 昨日の世界のすべて』半分くらい。
著者がどんどん評判を落としているが、結構面白い。
よくこんなまとめられるな、とまず思う。與那覇は『知性は死なない』で入院する前の躁状態のときは引用文献の内容やページを全部覚えていたのでメモを一切取らずに論文が書けたし映像教材は一度見たらすべての流れが記憶できたとか書いてたけど、それは躁状態がすごいんじゃなくて記憶力がそもそも異常だったんだろ、と思ったのだった。
読み終わったらなにか書くかも。


20211128の某セカイ系スペース。
会話内容をあまり把握していないので下に書くのは内容とは別に思っていること。
基本的に私が想定するセカイ系のイメージは二種類ある。
一つは主人公の内的世界が肥大するイメージ。エヴァ(「閉塞の拡大」)、秒速(回想の加速)、ONE(永遠の世界)とかの要素。雫の虐殺妄想とかも含めていいかもしれない。
もう一つは主人公がヒロインなどのインターフェースを通じて「セカイ」(まあ現実界でいいや)と遭遇するみたいなイメージ。いわゆるボーイミーツガールのサイカノとかイリヤとかの要素。あと、ヒロインの方の内的世界が拡大するパターンも主人公視点ではこっちに含まれることが多い。
後者については勝山さんのパクリ。あとなんだかんだで元長柾木東浩紀の定義は参照している。実は前島本はしょうもなさそうなのでまともに読んでない。
この二つはおそらく無関係だがコンボは成立する。内的世界の肥大によるある種の不能感が、インターフェースにより解放されるイメージ。インターフェースはヒロインでなくてエヴァンゲリオンとかデスノートとかでもいい。あと、主人公とヒロインの内的世界が直結するという複合パターンがけっこうある気がする。
内的世界が肥大するとだいたいにおいて世界は荒廃する。逆に世界の終わりや永遠の夏の光景に内的世界を見出すこともできる。
これでわかるように、私はセカイ系独我論的側面が主な興味関心だが、某セカイ系同人誌ではセカイ系独我論が否定されているらしいのでよくわからないが一応入手するか……と思っている。
しかしブギーポップは自動的な存在にセカイ系人間(世界の敵)が切断され続ける話で、独我論感が薄いような気はする。セカイをコントロールしようとする「魔女」は持て余されているし、長大なこともあって色々と複雑だ。また、流水大説独我論では説明できず、無我というほうが近いだろう。
ということで、実は脳内の図式と現実の嗜好が乖離しているような気がしてきた。
しかしブギーポップはともかく、流水大説の方は青空がどうとか否定神学がどうとか言うような生ぬるい領域ではないんだよな……。
セカイ系については折に触れてなにかを書くかも。

 

山口つばさ『ブルーピリオド』4巻まで。
美大受験マンガ。主人公の絵が最初からうまくてちょっといらつく。
変な屈託がなくてまっすぐに目標に向かう健全な話なのはいいかもしれないが、主人公は絵を描くための機械に見える。
作中作品はいいとも悪いとも思わないのだが、4巻の「自画像」の課題はリアル人間とまんが絵の折衷が出来ていて地味にテクい。
クリエイターものはどんな作品でも批判したくなるだけで、この作品自体はまあいいと思う。
続きは読む。

法月綸太郎法月綸太郎の冒険』
短編集。他のシリーズ作品のように親子関係への執着はあるが、図書館シリーズでまともなヒロイン(オタクっぽいが)が出てきたこともあり全体的に情緒が安定している。後期クイーン感もなし。そこそこ。
次は『二の悲劇』を読む。

ソウマトウ『シャドーハウス』8巻まで。
めっちゃ普通の話だ。最初はフリーゲームぽい雰囲気を出そうとしているのかとおもったけど、お披露目試験のあとからはそんな感じでもなくなっている。
続きは完結したら読む。

『ファーゴ』ドラマ版1話。
藤子Ⓐっぽいという印象。喪黒福造みたいな狂った殺し屋が元いじめられっ子の冴えない主人公(依頼者)を過剰に代行して元いじめっ子を殺してしまい、それによって主人公の倫理は崩壊しさらなる悲喜劇につながる。
藤子Ⓐ作品のほうが面白いので多分続きは見ない。