20211210-20211216

自民党赤松健擁立気配。危機回避能力が高いので一定以上に思い入れた作品の作者が保守化するというのをあまり経験していないのだが、まあこれはいつか来ると思っていた。赤松健の高度なエミュレート能力が「世論」に適応した、というような話なんだろうか。私は人が政治的になるということの意味がよくわからない。

新海誠は私が何もしていない間に映画を作っていたようだ。
東京一極集中批判に応えた、というのが第一印象。会見とかは見てない。

2020年に復刊した笙野頼子『水晶内制度』の自作解説を読んだら笙野は今でも大塚英志のことを往時と変わらずに怨んでいるということがわかってぎょっとした。ネオリベとかロリコンとか「安倍言語」の使い手とかさんざん言われている。怨念が強すぎる……。


Fate/stay night
UBWクリア。終盤は名文ラッシュでさすがにビビる。
とにかく鏡像関係を張り巡らしまくった上でサーヴァントの擬似ループ設定もあるのであらゆる描写が作中で反響するようになってるのね。この感じは昔やったときはよくわかっていなかった。
先行研究がありすぎて内容について書くことがあまりないが……。
守護者の機能は思ったよりブギーポップで、しかし守護者は「自動的」になりきれないがために摩耗する。「奈須きのこはより優れたシステムを知っているのに作劇のためにキャラクターに負担をかけている」というような状態ではあり、ある種の理性を作品に求める立場からは批判されうるかもしれないと思った。

 


東浩紀「訂正可能性の哲学、あるいは新しい公共性について」(『ゲンロン12』)
全体を把握できていないがあまり印象が良くない。

明確な規則を設定するわけではなく、参加者を固定するわけでもなく、新しい状況にあわせて個々の「訂正」をときに恣意的にもみえるかたちで繰り返しながら、それでも「同じなにか」を守り続けていると主張する奇妙な共同体。それがぼくが定義する「家族」である。
(P.67)

とのことで、幻影旅団みたいな共同体が望ましい、というようなことを言いたいのではないかと思うしそれにはあまり異論もないのだが、幻影旅団というのはクロロがいないと、というかウヴォーギン一人がいなくなっただけでも破綻するような組織だったことを思い出してしまう(その理念と現実の乖離こそがヨークシン編の美しさであり、グリードアイランド以後の旅団はゾンビみたいなものだ)。
なんというか、「家族」とか「固有名」とかの概念を拡張しまくると概念の耐久限界を探るみたいなことになってしまってそれは人それぞれに耐久限界の基準があるので耐久できないやつから脱落みたいな事になっていくと思う。
無限の「訂正可能性」に人は耐えられるのか? とか。それに耐えるのがポストモダニストの生きる道、と言われればそれまでだが。家族が守るという「同じなにか」ってまあ否定神学っぽいし、そこに保守的なものが全部流れ込んでしまうこともあるだろう。
あるいは拡張した家族においては、リソースが足りなくなったときには象徴的な「姥捨」が許されるかもしれない。無限膨張する高度経済成長みたいな状態なら確かに家族の拡張はうまくいくだろうが、停滞において家族は閉鎖する。そういう、伸びたり縮んだりする家族を公共の基盤にできるかどうか。
いや、私が全体的に読めていないのだと思うが……。


法月綸太郎『パズル崩壊』
短編集。「カット・アウト」が結構名作。
美術評論パロディみたいなことをしながら現代アーティストの奇行に隠された愛をかつての盟友が知る話、というのがとりあえず普通の読み方。そのレベルで出来がいい。
法月が解題でこの作品は「一連のクイーン論と表裏一体」と言っているんだが、ややその意味を掴みかねる。『頼子』とかだと後期クイーン問題の不可知性が「巨大な愛」によって決定的になる、というような展開があるのでその流れだとは言えると思うが……。あと『夏と冬の奏鳴曲』の影響あるかもと自分で書いてるけどそうなるとなんか不在の神=ヒロインを「展開」してしまおうとする男たちみたいなそういう含意があるんか? よくわからないが……。
カットアウト以外だと「トランスミッション 」はよくわからなくて結構いい。


舞城王太郎大暮維人バイオーグ・トリニティ』7巻まで
私はこの漫画が2巻くらいまで出ていた頃に本物の神漫画が始まったと思っていたのだけどそれ以降は話がよく理解できず、あまり思い出すこともなかったのだが、久々に読み返している。「愛」、完全にマジックワードになっててやっぱ話がよくわからないのだが……。


植芝理一『大蜘蛛ちゃんフラッシュバック』
不可視な内面と恋愛の神秘性は過去の窃視と共感というしょうもない設定に変換され―――いまやパーツへのフェティシズムとセルフパロだけが残されている。


器械『スクール・アーキテクト』
やっぱり叛逆の物語に感動したから描いたんだよね?
しかしこのイマイチ面白くなさはどう言ったらいいものか……。


窪田航『天気の子』
出来が良い。さすがに映画のほうが良いが、本編の作画は表紙絵よりだいぶすっきりとしていて読みやすかった。


佐藤友哉『転生!太宰治 2』
適当に読み流している。太宰治現代日本に転生してきて小説家をプロデュースする話。アンチの心性ではなくて王道のうぬぼれで小説を書こうみたいなところはちょっといい話だが、しかし佐藤友哉ゼロ年代の闇をなくした作家か。
1巻を読んだときは文体模写らしきものを頑張っていたような気がしたが、2巻だと「AIのべりすと」程度の代物のような気がする。ワンパターンなことに気づいたからかもしれない。
1巻はヒロイン視点だと退屈な毎日に太宰治が来て楽しくなってきた、というような話だったのだが、2巻は割とぐだぐだ? 直木賞とか芥川賞とかが抽象概念化している。