20170915
今日はダメでした。生活内選択における3つほどのミスがあった。
20170914
『Omegaの視界』の体験版を始める。開始直後では月姫歌月あたりの型月フォロワーっぽいが(物語内容より形式のレベルで参考にしてるね)キャラ造形は魅力的だなあ。やはりデザインと迫力か。これは絵と文両方一人でやっててすごいやつです。
独特な絵柄やヘタウマを売りにしている人でも明らかに基礎画力がある、もしくは最初から認知能力が高いということを知っているので先に画力を諦めるのは悪手なはずということで淡々と模写とかをしている。絵の練習自体は大してつらくないが単純に時間がなくなって悲しい。
唐辺葉介の『つめたいオゾン』再読をした。素晴らしいのだけど、どこが素晴らしいのかは言いにくい。優しくて頭のいい人達が残酷な世界でどうやって生きていくのかという話をわりといつもしているように思うけど、CARNIVAL(小説はなかったことにする)やつめたいオゾンはこの世界からの離脱を匂わせるエンドで、やはりそれには憧れてしまう。SF設定の思考実験性が僕は嫌いなのだけど、つめたいオゾンのSF設定は瀬戸口にとって人がわかり合うために可能な数少ない一手だという切実さを感じてしまい、起きている事自体は陳腐ですらあると思うのだけど、感動してしまう。なんか過剰な思い入れをしてしまってよくわからないのだよな……。
20170909
コーンフレーcuのpixivに上がっている漫画を読んでいる。面白い。メンヘラ趣味でここまで欲望に正直に漫画書いてる人初めてみたかもしれない。
20170907
余裕がない。一日途切らすと多分そのまま書かなくなるだろうという理由だけの更新。
モルデックスの使い捨て耳栓が大変良く、起きている時間の半分くらいはつけている気がする。自分は多分音楽聴きながら作業するのに向いてないということには薄々気がついていた。
20170906
客観的には今までより何かをしたと言えるだろうが主観的には何もしていない日でした。書くことはないです。
20170905
ハイロー、対立する諸勢力のそれぞれが違ったイメージソースを体現していてその分離や衝突をヤンキー漫画の文法で上手く書けてるところが良いのだと思う。ルードボーイズはエアギアで流星街だしMUGENは暴走天使で天上天下だし雨宮兄弟は平成ライダーだし……みたいな数々の要素が多分僕が把握していないエグザイルやHIP HOP文化を含めて投入され混在している。例えばルードボーイズはわかりやすくイメージが浮いてて孤児をたくさん連れてたりいきなり「誰よりも高く飛ぶ」と言い出すのはどう見てもおかしいんだけどその違和感を縄張りとか仲間は家族みたいなヤンキー文法で緩和することに一定成功している。season1がどうしてつまらないかというと作中においてヤンキー漫画のイメージが占める割合があまりにも大きすぎるから。導入だということもあるのだろうが中心となる山王連合からメインのドラマにあたるノポルくんの話までほとんどがヤンキー漫画で出来ていてイメージ衝突のダイナミズムがない。付け加えるなら僕が考える大暮維人の大暮維人性というのも異様に志とイメージ力が高くてヤンキー漫画の土台に時代劇とか伝綺とか神話とかを突っ込みまくってそれを破綻ギリギリで成立させてしまうというところにある。そういう意味でもハイローと大暮維人は作品の要素以上に近い位置にあるような気がする。ということでなんとなく把握したつもりにはなっているのだが、そこそこすごいことやってると思うしまだ半分以上見てないので近いうちに見ます。上に書いたのとは別に漫画キャラの実写化力とアクションは普通にすごくてちょっとケチつけにくい。