20170917

 さよなら、うつつ。というフリーノベルを少しやる。主人公の名字間宮だし電波教祖ポジションだしすばひび二章リスペクトかな。そこまで面白くはないけど気合が入っている。そしてやりたいことのニュアンスが大体理解できるし共感もできる。

 Omegaの視界はひぐらし要素も入ってきた。主人公が全く全体状況を把握してなくて、ヒロインごとに世界の秘密について保持している情報が違い、それらの情報のうちどれが開示されるかによってルート分岐するみたいなのは一つのパターンだと思うが、わりと好きではある。ヒロインが持ってる情報がそれぞれの問題(トラウマとか)だけよりもヒロイン間での情報交換とかができて手が広いと思う。

 

20170916

 絵の練習と写真加工の練習をして、寝取られについて考えたりしていた。不意打ち寝取られを炎上せずに可能にするためには制度性や構造を利用するのが手っ取り早いのだなとかそういう。

 死霊の夜のメルムというエロRPGの主人公の性格がメムメムちゃんそっくりで異常にかわいい。

20170914

 『Omegaの視界』の体験版を始める。開始直後では月姫歌月あたりの型月フォロワーっぽいが(物語内容より形式のレベルで参考にしてるね)キャラ造形は魅力的だなあ。やはりデザインと迫力か。これは絵と文両方一人でやっててすごいやつです。

 独特な絵柄やヘタウマを売りにしている人でも明らかに基礎画力がある、もしくは最初から認知能力が高いということを知っているので先に画力を諦めるのは悪手なはずということで淡々と模写とかをしている。絵の練習自体は大してつらくないが単純に時間がなくなって悲しい。

 唐辺葉介の『つめたいオゾン』再読をした。素晴らしいのだけど、どこが素晴らしいのかは言いにくい。優しくて頭のいい人達が残酷な世界でどうやって生きていくのかという話をわりといつもしているように思うけど、CARNIVAL(小説はなかったことにする)やつめたいオゾンはこの世界からの離脱を匂わせるエンドで、やはりそれには憧れてしまう。SF設定の思考実験性が僕は嫌いなのだけど、つめたいオゾンのSF設定は瀬戸口にとって人がわかり合うために可能な数少ない一手だという切実さを感じてしまい、起きている事自体は陳腐ですらあると思うのだけど、感動してしまう。なんか過剰な思い入れをしてしまってよくわからないのだよな……。

20170913

 意志についてのコミュニケーションなど。脳を速めに動かして疲れた(老人か?)。久しぶりに勉強しないととか思ってしまった。

 自己と世界の境界をどこに引くのかはセカイ系においても重要な観点で、まずもってヒロインについての問題として表出してくるがそれはまだ思案中。

 流石にそろそろシナリオを書かなければ……。

20170912

 今の僕がどれくらいセカイ系のことを分かっているかというと元長柾木セカイ系ツイートがほぼ全て整合的に理解できる程度には分かっている。文化勝利は久々だ。キミとボクとセカイとの関係はすごく簡単なことなんだにゃ。現理論だとヒロインがちょっと便利すぎるのでそこの検討が必要。

 ノベルゲー制作ツールのティラノビルダーをちょっと見ていて「はじめての!あかねとジョーキョーパズル」なんかはもうこれでインターフェースは完璧やんけと思ったがけっこうスクリプトをいじっているらしい。どうなのか。

 画像は省エネ作画のドロシーと頑張ったが途中で全てを諦めた背景絵です。

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20170911

世界と自分を分けて考える思考様式自体がセカイ系必要十分条件ではという気がしてきた。アンチ成長とかコントロール幻想とかは二次的では。自分が変わるとセカイが変わるという思想の否定、自分を変えずにセカイを変える事ができるという確信。それらは世界と自分を完全に分離しないことには成り立たない。世界の敵という言葉を思い出してもいい。

20170910

 タイピングの練習がてらラノベのテキスト模写とかエロゲのオートモード追随チャレンジをやってます。ということですばひびの希実香ルートとかちょっと読んでたんだけどサクラノ詩の幸福と不幸は表裏一体~みたいな話のところって屋上でのアンハッピーセットとチルチルミチルの話ですでにリリカルにスマートに提示されてるんですよね。少なくともその萌芽が豊かな形である。正直サクラノ詩を気に入ってない理由の多くはこういう現象があらゆる主題で起きているように感じられて端的にダサくなってるようにしか思えないところにある。ということを再確認した。

 画像は今日練習した楽な木の描き方の成果です。

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20170908

 背景絵の練習をした。これは集中と根気ゲーでつらいが無理ゲー感はそこまでない……。

 キレて自分の子供を全員殺した鬼子母神オルタとかが大量に出てくる堕天大戦というソシャゲについて一分くらい考えた。

 洗練されたインターネットがないのでアクティビティーとか見る気もなくなってきてしまったよね。洗練が見たい。

 

20170907

 余裕がない。一日途切らすと多分そのまま書かなくなるだろうという理由だけの更新。

 モルデックスの使い捨て耳栓が大変良く、起きている時間の半分くらいはつけている気がする。自分は多分音楽聴きながら作業するのに向いてないということには薄々気がついていた。

20170905

ハイロー、対立する諸勢力のそれぞれが違ったイメージソースを体現していてその分離や衝突をヤンキー漫画の文法で上手く書けてるところが良いのだと思う。ルードボーイズはエアギアで流星街だしMUGENは暴走天使で天上天下だし雨宮兄弟は平成ライダーだし……みたいな数々の要素が多分僕が把握していないエグザイルやHIP HOP文化を含めて投入され混在している。例えばルードボーイズはわかりやすくイメージが浮いてて孤児をたくさん連れてたりいきなり「誰よりも高く飛ぶ」と言い出すのはどう見てもおかしいんだけどその違和感を縄張りとか仲間は家族みたいなヤンキー文法で緩和することに一定成功している。season1がどうしてつまらないかというと作中においてヤンキー漫画のイメージが占める割合があまりにも大きすぎるから。導入だということもあるのだろうが中心となる山王連合からメインのドラマにあたるノポルくんの話までほとんどがヤンキー漫画で出来ていてイメージ衝突のダイナミズムがない。付け加えるなら僕が考える大暮維人大暮維人性というのも異様に志とイメージ力が高くてヤンキー漫画の土台に時代劇とか伝綺とか神話とかを突っ込みまくってそれを破綻ギリギリで成立させてしまうというところにある。そういう意味でもハイローと大暮維人は作品の要素以上に近い位置にあるような気がする。ということでなんとなく把握したつもりにはなっているのだが、そこそこすごいことやってると思うしまだ半分以上見てないので近いうちに見ます。上に書いたのとは別に漫画キャラの実写化力とアクションは普通にすごくてちょっとケチつけにくい。