20190916

図書館に行った。携帯を持ち歩かないほうがいいということを実感している。

雲のむこう、約束の場所』の小説版(加納新太)を読む。上京パートが完全に秒速5センチメートルで驚いた。歴史修正は絶対にだめだという倫理も発動していて君の名はのことなどを思いなんともいえない気分になる。よかった。「届かないものへの憧れ」と「ヒロインへの思慕」は等価なものであって、しかしそれが一度交換されてしまえばもう不可逆であるというような人生の厳しさがある。

『FACTFULNESS』をぱらぱらとめくって気分が悪くなった。「貧困層は世界人口の7パーセントしかいません思ったより少ないですね」みたいなことを延々書き続けることで人々の認知にはバイアスがかかってるんですよということを書いているんだけど、人間を統計にしていく所作を見ていると大量死理論をとなえたくもなる。そして最終的に「世界はどんどんよくなっている」と結論づける。ここでも統計上の「不幸な人の割合」は減っている、というようなことが主な論拠だ。理論的なレベルでのツッコミとして割合では減っても人口自体が増えてるんだから200年前に比べて不幸な人は増えてるだろ……とかがあるんだけど実際に不幸か幸せかの判断はどうでもいいとして(狩猟採集民のほうが現代人より幸せだった、というようなサピエンス全史的な知見もそれはそれでクソだと思っている)、心情的な問題として「世界はどんどん悪くなっている」という認識は単なる現状認識を超えて「これから世界はどんどん悪くなるだろう」という未来への予感が現在の確信に転写されるものでもあるはずで、これについて「それは誤認識だ」と指摘することがこの著者にはできるんだろうけどじゃあこれから世界がどんどん悪くなるだろうという予感に対してその指摘はなにか意味があるのかというとないと思う。これは反知性と思われてもしかたがないのだが、統計を心から信じている(かのように振る舞っている)人のことをあまり信じていない。

宝石の国を読み直している。一巻が一番読みにくいんだけど、やっぱりファン的には一巻が一番よかったりするのだろうか。私は普通のストーリー漫画が好きなのでどんどん読みやすくなってありがたいと思っている。キャラがみんな好きなのでやはりいい漫画だと思う。