20191009

『ジョーカー』を見た。完全に感情移入してしまった。実際、「親の頭おかしいなー(親は私のことを頭おかしいと思ってるんだろうな)」とか毎日思いながら暮らしているとちょっと半端じゃなくシンクロしてしまうところがあるよ……。

アーサーはコメディアンを見ているときに必ず他の観客とは違うタイミングで笑う。それは「笑いのツボ」が違うだけで、ショー自体を楽しく見ているという点では他の観客と同じなのだろうか? とてもそうは思えない(そうであるなら、そこに断絶はほとんどないと言える)。彼の持病である突発的な笑いの発作が起きた瞬間を「面白かった」と事後的に解釈しているとしか考えられないだろう(もしくは発作すら起きていないのにわざと笑っている)。当然彼自身もコメディアンが全く面白くないことを知っている。なぜアーサーはコメディアンを目指していたのだろうか。私はここになぜ小説を書くのかわからないワナビの姿をみて本当に厳しい気持ちになった。京アニ大賞という最もなぜ小説を書くのかわからないワナビが集まっていたであろう賞のことを思い出したりもした。

映画自体は主題をあまりにもあからさまに語っていて、批評的に優れたものでは全くないと思う。社会や群衆の描き方はあまりにも雑というかアーサーの心象具現化に近いし、上の問題にも結局は「社会から無視されているので誰かに見てほしかった」という答えが用意されてはいる。しかしそれは建前に近い答えであって、その選択された手段に切実さを感じずにはいられない。