20211224-20211230
年末。色々と手が回らないな……。
『Fate/hollow ataraxia』『Fate/stay night』
hollowクリア。昼パートカスすぎ夜パートよすぎ。「そのカスさが良い」理論はわからなくもないけど否定派(プレイヤーへのダイレクトアタックは基本的にNG)。
クリアしたあと参考文献を読んでいた。昔買ったマテリアル本とか昔のネット記事とか。せっかくだからZeroとかも読んで未読のスピンオフも手をつけるか……?
思考の「解像度」を少しでも落とすとランサーもライダーも葛木もバゼットもカレンも全部鏡像だな、ということになってくる。つまりランサーあたりのまっとうな英霊を基準としてそこからの差分・歪み・切り取り・反転でほとんどのキャラの性質を記述していくことができるんではないかというようなこと。「正義の味方」「この世すべての悪」は特異点めいているので例外処理かもしれない。
『日本大衆文化史』
内容をメモにまとめた。今更ながら大塚理論・史観をインストールすることにどの程度意味があるのかはやや不明だが……。
「まんが・劇画・アニメ・社会」の項に、手塚は「歴史に翻弄される「群衆」の中の個人」を描くことを主題とし続けた、という記述がある。『百合史・百合論』において「手塚治虫が百合を書かなかったことに必然性はない」というような記述があったはずだが、手塚治虫は関係性を信じられなかったからこそ近代人としての手塚治虫であった、という命題には意味があるように感じられる。「人生という名のSL」最終ページのナレーションはあまりにも重い。ちょっと違うけど手塚治虫にとって「ループ」とは端的に受難であったはずだ、とか。
『新説魔法少女』
クリア。40時間!
いやまあ面白かったが二度とやらない。伊万里と千代子が強すぎる。
宇宙の果てでも地球人類と全く変わらないやつらがうだうだ権力闘争しているのはユメがないな。
『岬の兄妹』
超陰鬱。身体障害者の兄と知的障害者の妹の極貧生活。
印象的ではあるがひたすらつらい。
河野慎太郎『戦う姫、働く少女』
ジェンダーと労働研究会(編)『私たちの「戦う姫、働く少女」』
内容をメモにまとめて、シンポジウムまとめ本を読んだ。
全体の論調は新自由主義批判で一貫していてフェミニズム批評よりもそっちのほうがメイン。やっぱりそんな悪い本じゃないと思うけど理論的にはナンシー・フレイザーとジュディス・バトラーの承認と再分配についての議論にほとんど依拠しているっぽい。
シンポジウム本は河野の解説がちょっと理解の助けになったくらいで、本の感想としてはもしかして河野慎太郎はフェミニズム批評(というよりジェンダー研究?)ジャンルの中では相当知性が高いほうなのではないか、という疑念くらいになる(まあメンバーの問題だろうが)。議論の内容がほとんど内容の確認にとどまっているし、「専業主婦は元気がない」とか留保なしで不用意に言っていいセリフではないでしょう。
『透明人間(2020)』
ちょっとうみねこっぽい視聴感。主人公は透明人間に狙われることになるのだが、実際に透明人間がいるのか主人公の幻想なのかが中盤まで判断不能な状態で展開する。
『岸辺露伴は動かない』実写ドラマ。
「悪霊」や「超能力」を少年バトル漫画の形式で解釈する、というのがスタンドの発明であるとする場合に、それを「悪霊」のレベルに再回収することになんらかの意味があったのかどうか、です。
もちろんそれは『岸辺露伴は動かない』原作にも存在する問題であり、だからこそ私はあまり原作漫画も好きではないのだが、今回のチープトリック実写化はその問題が如実に現れていた。正直言って、原作よりいいところ一つもないですよ。
20211217-20211223
ゲームはプレイしている自分に少しでも疑問を感じたらその場でやめるべき。
電波批評、作品と一体化するタイプなんだけど「自己の実存を作品に投影する」凡百の批評とは違って「作品を自己に投影する」ところが特徴だと思っている。作品そのものが自らの構成要素となる。そのトリガーとして、引用や圧縮が投影魔術における詠唱みたいなものとして機能している、という印象。難易度が高くて出来ないし失敗すると地雷を踏むが……。
私は小学生の頃から芸人バラエティや漫才を一切見ないのだが、M-1を多くの人が見ているので決勝動画だけ見た。錦鯉(優勝者)などの面白さはよくわからないが、オズワルドというコンビは一見の価値があると思う。なんとなくわかっていたが、私は「無」への言及ネタに結構弱い。「じゃあ今まで何について話してたんだよ」みたいなやつ。ギャグ漫画などでもたまに見るので一つのテンプレなんだと思うが、漫才が発祥なのだろうか。
『Fate/stay night』
HFクリア。すごいゲームだ。
日文研大衆文化研究プロジェクト『日本大衆文化史』
日本大衆文化史 日文研大衆文化研究プロジェクト(編集 | 著/文) - KADOKAWA | 版元ドットコム
目次を見ると分かるがほぼ大塚英志史観の「教科書」で、日文研のプロジェクトの一部を大塚が乗っ取ったという印象を受ける(実際はどうだか知らないけど)。しかし大塚の文章はかなり内容の重複が多くてどこまでが既出の情報だったかよくわからなくなることが多かったので、教科書的なまとめがちゃんとした形で出たのはいいことなんじゃないでしょうか。
王琼海氏は本文ではなくコラム「レイヤーとしてのトーキーアニメーション」執筆。今村太平や大塚英志を参照しつつ、アニメーションにおける「音声」というレイヤーについて戦時下アニメーションの音画配合手法などを再検討しつつ考える必要がある、みたいなことを書いている。
1月に『東アジアの中の日本大衆文化(仮)』が出版される予定らしいんだけど、それの執筆者と内容が気になる。
『新説魔法少女』(http://www3.synapse.ne.jp/dio/smaho.html)
フリーゲームのSRPG。面白い。32面までで20時間くらい。
MP管理がかなり厳しく、基本スペックよりも技性能のほうが重要なので少数精鋭が通用しにくい(MPが切れるとほとんどなにもできずに死ぬ)。また、一部に強力な技を持つ味方ユニットもいるのだがそれについては一部の強力な敵ユニットを倒すという役割が明確にあり、その分のMPを確保しておかなくてはいけないので雑魚戦にはあまり使えない。よってほぼ総力戦的にまんべんなく育成して地道に制圧していく必要がある。この地味なバランスが久しぶりにSRPGをやっているという感覚がありよい。
とはいえゲージ管理・ダメージ計算をまじめにやれば負ける気はしない。しかしこの二つを徹底的にやっていると時間がかかりすぎる(私はちょっと真面目にやりすぎてプレイ時間がかなり延びている)ので少し大雑把にやっていくことも必要だろう。おそらく盾ユニット中心に雑に特攻していっても重要ユニットだけちゃんと守れば何体か死ぬだけでクリアはできる……はず。
シナリオは現代魔法少女ものでまあまどマギフォロワー感があるが、ずっと仲間集めをしていてその合間にイベントが起こるという感じ。
脊髄に注射をすると魔法少女になるのだけどそのたびに新規加入キャラが激痛で絶叫するみたいな軽いノリ。しかしその直後に仲間が民間人を殺してしまって闇堕ちしたりする。なぜかマスコットキャラがブギーポップの格好をしている。良くも悪くも雑でこれはこれで悪くない。マギレコってこんな感じなんだろうか?
志村貴子『放浪息子』5巻まで
LGBT的なものってマンガとかだと端的に中性的な理想にしか見えないところがある。そういうものに萌えるということ自体が一つの主題になっているっぽいのは志村貴子の偉いところだろうか。実は志村貴子作品あんまり読めてない。
河野真太郎『戦う姫、働く少女』
思ったよりだいぶ良かった。
第二波フェミニズムによる女性の個人としての解放は、新自由主義的な「革命」と呼応して新自由主義に適応したポストフェミニズム状態に帰結してしまった。それはポストフェミニズムの勝ち組(フェイスブックのサンドバーグとか)と負け組(無力な低所得女性)の両極端を生み出し、実際は負け組の方がずっと多いのにその事実が一部の勝ち組によって覆い隠される望ましくない状態になっている。ポストフェミニズム状態は現代のカルチャーにも刻印されている(ことをフェミニズム批評でもって明らかにする)。
ポストフェミニズムを乗り越えるには「第二波フェミニズムとポストフェミニズムの連続性を見すえ、その先に、それらの対立を乗り越えた第三波フェミニズムを構想すること」(P.224)が大切らしい。
結論はなんかふわっとしているが、全体的には結構面白い。とはいえ既読作品についてはやや見解が異なる部分がある。未読作品についても実際には評価が気に入らない部分が多そうな予感はある。
『東京ゴッドファーザーズ』
作画が良くなかったら最後まで見られなかったような気もするが面白かった。今敏との共同脚本はカウボーイビバップの信本敬子。信本が今月の1日に亡くなっていたと今知った。
『ウルトラジャンプ』
クレイジー・Dの悪霊的失恋はちょっと判断不可能だがあまり印象はよくない。
とりあえずは敗者としての人生を送っているホル・ホースがDIOの残した負の遺産の後始末をすることによって再起する、という話になりそうだ。花京院の従姉妹とかが出てくるようだが……。
上遠野浩平のコメントは「気合い入れました、仗助たちの新冒険にご期待ください。」とのことなので、期待はします。
藍本松『フジコの奇妙な処世術』は導入はよかったが展開がイマイチ。絵がかわいくて、グエスが出てきたのが嬉しかった。
舞城王太郎・大暮維人『バイオーグ・トリニティ』
最終巻まで読んだ。作品についてはやはり内容がうまく把握できなかったのだが(なんでいきなり世界が裏返ったりするんだ?)、世界が有限リソース=密室であること、が舞城作品のゲーム的リアリズムに直結しているのだなということを思う。
コナリミサト『凪のお暇』8,9巻
凪の問題がおおむね解決しているので周辺人物の話をするしかなくなっているっぽい。
森山絵凪『この愛は、異端。』
普通。
20211210-20211216
自民党赤松健擁立気配。危機回避能力が高いので一定以上に思い入れた作品の作者が保守化するというのをあまり経験していないのだが、まあこれはいつか来ると思っていた。赤松健の高度なエミュレート能力が「世論」に適応した、というような話なんだろうか。私は人が政治的になるということの意味がよくわからない。
新海誠は私が何もしていない間に映画を作っていたようだ。
東京一極集中批判に応えた、というのが第一印象。会見とかは見てない。
2020年に復刊した笙野頼子『水晶内制度』の自作解説を読んだら笙野は今でも大塚英志のことを往時と変わらずに怨んでいるということがわかってぎょっとした。ネオリベとかロリコンとか「安倍言語」の使い手とかさんざん言われている。怨念が強すぎる……。
『Fate/stay night』
UBWクリア。終盤は名文ラッシュでさすがにビビる。
とにかく鏡像関係を張り巡らしまくった上でサーヴァントの擬似ループ設定もあるのであらゆる描写が作中で反響するようになってるのね。この感じは昔やったときはよくわかっていなかった。
先行研究がありすぎて内容について書くことがあまりないが……。
守護者の機能は思ったよりブギーポップで、しかし守護者は「自動的」になりきれないがために摩耗する。「奈須きのこはより優れたシステムを知っているのに作劇のためにキャラクターに負担をかけている」というような状態ではあり、ある種の理性を作品に求める立場からは批判されうるかもしれないと思った。
東浩紀「訂正可能性の哲学、あるいは新しい公共性について」(『ゲンロン12』)
全体を把握できていないがあまり印象が良くない。
明確な規則を設定するわけではなく、参加者を固定するわけでもなく、新しい状況にあわせて個々の「訂正」をときに恣意的にもみえるかたちで繰り返しながら、それでも「同じなにか」を守り続けていると主張する奇妙な共同体。それがぼくが定義する「家族」である。
(P.67)
とのことで、幻影旅団みたいな共同体が望ましい、というようなことを言いたいのではないかと思うしそれにはあまり異論もないのだが、幻影旅団というのはクロロがいないと、というかウヴォーギン一人がいなくなっただけでも破綻するような組織だったことを思い出してしまう(その理念と現実の乖離こそがヨークシン編の美しさであり、グリードアイランド以後の旅団はゾンビみたいなものだ)。
なんというか、「家族」とか「固有名」とかの概念を拡張しまくると概念の耐久限界を探るみたいなことになってしまってそれは人それぞれに耐久限界の基準があるので耐久できないやつから脱落みたいな事になっていくと思う。
無限の「訂正可能性」に人は耐えられるのか? とか。それに耐えるのがポストモダニストの生きる道、と言われればそれまでだが。家族が守るという「同じなにか」ってまあ否定神学っぽいし、そこに保守的なものが全部流れ込んでしまうこともあるだろう。
あるいは拡張した家族においては、リソースが足りなくなったときには象徴的な「姥捨」が許されるかもしれない。無限膨張する高度経済成長みたいな状態なら確かに家族の拡張はうまくいくだろうが、停滞において家族は閉鎖する。そういう、伸びたり縮んだりする家族を公共の基盤にできるかどうか。
いや、私が全体的に読めていないのだと思うが……。
法月綸太郎『パズル崩壊』
短編集。「カット・アウト」が結構名作。
美術評論パロディみたいなことをしながら現代アーティストの奇行に隠された愛をかつての盟友が知る話、というのがとりあえず普通の読み方。そのレベルで出来がいい。
法月が解題でこの作品は「一連のクイーン論と表裏一体」と言っているんだが、ややその意味を掴みかねる。『頼子』とかだと後期クイーン問題の不可知性が「巨大な愛」によって決定的になる、というような展開があるのでその流れだとは言えると思うが……。あと『夏と冬の奏鳴曲』の影響あるかもと自分で書いてるけどそうなるとなんか不在の神=ヒロインを「展開」してしまおうとする男たちみたいなそういう含意があるんか? よくわからないが……。
カットアウト以外だと「トランスミッション 」はよくわからなくて結構いい。
舞城王太郎・大暮維人『バイオーグ・トリニティ』7巻まで
私はこの漫画が2巻くらいまで出ていた頃に本物の神漫画が始まったと思っていたのだけどそれ以降は話がよく理解できず、あまり思い出すこともなかったのだが、久々に読み返している。「愛」、完全にマジックワードになっててやっぱ話がよくわからないのだが……。
植芝理一『大蜘蛛ちゃんフラッシュバック』
不可視な内面と恋愛の神秘性は過去の窃視と共感というしょうもない設定に変換され―――いまやパーツへのフェティシズムとセルフパロだけが残されている。
器械『スクール・アーキテクト』
やっぱり叛逆の物語に感動したから描いたんだよね?
しかしこのイマイチ面白くなさはどう言ったらいいものか……。
窪田航『天気の子』
出来が良い。さすがに映画のほうが良いが、本編の作画は表紙絵よりだいぶすっきりとしていて読みやすかった。
佐藤友哉『転生!太宰治 2』
適当に読み流している。太宰治が現代日本に転生してきて小説家をプロデュースする話。アンチの心性ではなくて王道のうぬぼれで小説を書こうみたいなところはちょっといい話だが、しかし佐藤友哉もゼロ年代の闇をなくした作家か。
1巻を読んだときは文体模写らしきものを頑張っていたような気がしたが、2巻だと「AIのべりすと」程度の代物のような気がする。ワンパターンなことに気づいたからかもしれない。
1巻はヒロイン視点だと退屈な毎日に太宰治が来て楽しくなってきた、というような話だったのだが、2巻は割とぐだぐだ? 直木賞とか芥川賞とかが抽象概念化している。
20211203-20211209
ここ最近2つほどネット炎上をウォッチしたが、時間の無駄すぎ。
可能な限り炎上を無視していきたいが、「妻が……」発言を見たときなど(典型的に愚か過ぎて)テンションがめちゃくちゃ上がってしまったことは事実だ。内なるアンチの心性をどう扱っていけばいいのだろうか。
おそらく怨念とアンチの心性はやや性質が異なる。私は好き嫌いが激しくアンチの心性をかなり強く持っているが怨念はあまりない(と自分では思っている)。とりあえず今後も怨念は貯めないようにしたいと思う。
しかし、「誤解を招いたならすみません」という「最低の謝罪文」としての地位を獲得しつつある決まり文句は、お互いに相手の「誤読」をなじりあうような限りなく不毛な泥沼状況においてはむしろ建設的であり優れた発言ですらありうるな、と思った。
『Fate/stay night』
露骨に神ゲー。セイバールート半分くらいの時点ですでに記憶よりだいぶ面白い。日常パートも面白いんですが……。
遠坂凛ってこんなに優しくてかっこよくてかわいいんだ、みたいな極めて素朴な感想を持ってしまう。
全ルート+hollowをやり直す。
法月綸太郎『二の悲劇』文庫版
形式というのはのっぺらぼうなんです
(P.172)
形式的なものばかりを操作していると悲劇が起こる、というのが探偵法月によるこの事件の総括に思われるが、それは探偵の自己批判でもあり、最終的に「ちゃんと内面や本質を見よう」という自己啓発につながる。これだけだとろくでもない結論だが、全体的に情緒不安定で自信なさげなので逆説的な説得力はある。
とりあえず、作者名と同じ名前の探偵とか使ってるから病むんだよと思った。
P.214あたり、『頼子のために』への言及。「探偵法月は自分だけがメタレベルの語り手のつもりだったのに同じメタレベルの犯人から不意打ち的に聞き手にされたことで共犯者になってしまったのだ」というような総括がなされている。実際に『頼子』がそういう話だったかはちょっと確信が持てないのだが、その後に入る「『頼子』単体ではメタレベルの犯人が完全勝利しているが、こうして続編が続き語り継がれていく以上、犯人は究極の語り手ではありえない」というような話は結構いい。
しかし探偵法月が「本格探偵小説という死児」(P.373)「物語の終わりを見たいのではなくて、その続きを見届けたいだけ」(P.394)というのは、本格探偵としてのレゾンデートルを失いかけているということなのだろう。
形式操作批判に加えて今回は親子関係の問題が一切ないこともあって(ちょっと出てくる被害者の母親がさりげなく毒親っぽさをだしてくるが)、全体的に転向の気配だ。
「――ぼくをうつ伏せに埋めてくれ」誰に言うともなしに、綸太郎はつぶやいた。「まもなく、すべてはさかさまになるからだ」
(P.347)
これよくわかんなくて好き。
與那覇潤『平成史』
面白かった。
平成はバブル直後とか00年周辺とか震災直後とか色々可能性はあったけど結局全部潰えて最終的には「昭和の延長線」的なものが回帰してきて終わった、というような平成史を戦後史全体も概観しつつたどっていく。私は政治史をほとんど理解していないので記述を鵜呑みにするしかなく、歴史記述として正しいかどうかは分かりません。
今までの著作のまとめ的なところもあるし、エッセイや対談で目立つ怨念も抑えられているので結構いい本だとは思う。
與那覇が持っているが普通の人は持っていない「歴史感覚」について。そういうものがあるかもしれない、ということを冗談交じりに與那覇が何度か書いていたのだが、なんとなくそれがわかったような気がする。端的に、與那覇の記憶力が異常なのでなにを見てもデジャビュを感じる、というのが歴史感覚の実態に近いようだ。歴史の構造を見て取ることで、自分がループする世界にいるのだということに気がつくこと。リーディングシュタイナー? 確かにそれはちょっと凡夫には体得不可能かもしれない。
『白昼夢の青写真』
合間を置くと大したゲームではなかったような気がしてきた。
3つのパラレルな中編とそれを統合するグランドエンディングルートがあって、その3つの中編の出来が小説一冊くらい分としてそこそこ良く、グランドルートもちゃんと達成感がある。そしてテキストビジュアル音楽みたいな基本要素が高い水準でまとまっている。こういう「よく出来ている」要素でかなり評価を上げてしまったが、冷静になると大した話じゃないわ。
なんというか、ちゃんと主人公の鏡像を出すぞ、とかセカイそのものの少女を出すぞ、みたいなのが振り返ると透けて見える問題がある。明らかに展開に合わせて設定が無理やり作られている。むしろパラレルな中編におけるワナビものの要素がグランドルートでも活用されている(書くことが、書いたものが私達を少しだけ助けてくれる、みたいな微温的な話ではあるのだが)ところあたりがいいところだろう。
普通に面白く、全然悪くないゲームです。
『ブルーピリオド』8巻まで
私は受験直前のユカちゃんとの逃避行でぐちゃぐちゃな関係になって主人公が受験に落ちたら良かった、と思います。(ヒント:東京大学物語)
それはそれとして結構気に入ってきた。主人公が絵を描く機械なことは藝大編のテーマになるのね。きねみがかわいい。
『ANEMONE』
前半はよくわからなかったが後半は面白かった。まあエヴァなんだが……。
しかしこれをエウレカの知識一切ない人が見ても面白い傑作!みたいな褒め方をしている人は「初見でもわかります」(スタァライト劇場版)レベルの詐欺だろう。
しかしこういう過去作品の総括作品で、漫画版のようなメディアミックスを含むというのはちょっとめずらしいのでそれをやってくれると嬉しい気持ちにはなるだろうな。シンエヴァに霧島マナが出るべきだった問題。
EUREKAは……配信がきたら見る。
たなと『あちらこちらぼくら』
オタクに優しいギャル。やっぱ暴力性があるといいね。
『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』
エヴァすぎ。ねだるな勝ち取れ、とか最悪の標語だなーと思った。内容をいまいち把握できず感想はない。
20211128-20211202
月曜に眼科に行った。左目の網膜がちょっと薄くなっててあやしいけどとりあえず問題なしとのことでした。あんまり安心じゃないが。
いままでは適当な順番で感想を並べていたけど、上から順に印象に残った作品について書いていくことにする。
『白昼夢の青写真』
2020年発売で一番評判がいいエロゲ。
確かにめちゃくちゃウェルメイドなセカイ系エロゲなんだけど(サブタイトルTHE GIRL WHO'S CALLED THE WORLDて)、小利口すぎるところがある。
まだ考えがまとまっていないのでまとまったらなにかを書くかもしれない。
與那覇潤『平成史 昨日の世界のすべて』半分くらい。
著者がどんどん評判を落としているが、結構面白い。
よくこんなまとめられるな、とまず思う。與那覇は『知性は死なない』で入院する前の躁状態のときは引用文献の内容やページを全部覚えていたのでメモを一切取らずに論文が書けたし映像教材は一度見たらすべての流れが記憶できたとか書いてたけど、それは躁状態がすごいんじゃなくて記憶力がそもそも異常だったんだろ、と思ったのだった。
読み終わったらなにか書くかも。
20211128の某セカイ系スペース。
会話内容をあまり把握していないので下に書くのは内容とは別に思っていること。
基本的に私が想定するセカイ系のイメージは二種類ある。
一つは主人公の内的世界が肥大するイメージ。エヴァ(「閉塞の拡大」)、秒速(回想の加速)、ONE(永遠の世界)とかの要素。雫の虐殺妄想とかも含めていいかもしれない。
もう一つは主人公がヒロインなどのインターフェースを通じて「セカイ」(まあ現実界でいいや)と遭遇するみたいなイメージ。いわゆるボーイミーツガールのサイカノとかイリヤとかの要素。あと、ヒロインの方の内的世界が拡大するパターンも主人公視点ではこっちに含まれることが多い。
後者については勝山さんのパクリ。あとなんだかんだで元長柾木と東浩紀の定義は参照している。実は前島本はしょうもなさそうなのでまともに読んでない。
この二つはおそらく無関係だがコンボは成立する。内的世界の肥大によるある種の不能感が、インターフェースにより解放されるイメージ。インターフェースはヒロインでなくてエヴァンゲリオンとかデスノートとかでもいい。あと、主人公とヒロインの内的世界が直結するという複合パターンがけっこうある気がする。
内的世界が肥大するとだいたいにおいて世界は荒廃する。逆に世界の終わりや永遠の夏の光景に内的世界を見出すこともできる。
これでわかるように、私はセカイ系の独我論的側面が主な興味関心だが、某セカイ系同人誌ではセカイ系の独我論が否定されているらしいのでよくわからないが一応入手するか……と思っている。
しかしブギーポップは自動的な存在にセカイ系人間(世界の敵)が切断され続ける話で、独我論感が薄いような気はする。セカイをコントロールしようとする「魔女」は持て余されているし、長大なこともあって色々と複雑だ。また、流水大説も独我論では説明できず、無我というほうが近いだろう。
ということで、実は脳内の図式と現実の嗜好が乖離しているような気がしてきた。
しかしブギーポップはともかく、流水大説の方は青空がどうとか否定神学がどうとか言うような生ぬるい領域ではないんだよな……。
セカイ系については折に触れてなにかを書くかも。
山口つばさ『ブルーピリオド』4巻まで。
美大受験マンガ。主人公の絵が最初からうまくてちょっといらつく。
変な屈託がなくてまっすぐに目標に向かう健全な話なのはいいかもしれないが、主人公は絵を描くための機械に見える。
作中作品はいいとも悪いとも思わないのだが、4巻の「自画像」の課題はリアル人間とまんが絵の折衷が出来ていて地味にテクい。
クリエイターものはどんな作品でも批判したくなるだけで、この作品自体はまあいいと思う。
続きは読む。
法月綸太郎『法月綸太郎の冒険』
短編集。他のシリーズ作品のように親子関係への執着はあるが、図書館シリーズでまともなヒロイン(オタクっぽいが)が出てきたこともあり全体的に情緒が安定している。後期クイーン感もなし。そこそこ。
次は『二の悲劇』を読む。
ソウマトウ『シャドーハウス』8巻まで。
めっちゃ普通の話だ。最初はフリーゲームぽい雰囲気を出そうとしているのかとおもったけど、お披露目試験のあとからはそんな感じでもなくなっている。
続きは完結したら読む。
『ファーゴ』ドラマ版1話。
藤子Ⓐっぽいという印象。喪黒福造みたいな狂った殺し屋が元いじめられっ子の冴えない主人公(依頼者)を過剰に代行して元いじめっ子を殺してしまい、それによって主人公の倫理は崩壊しさらなる悲喜劇につながる。
藤子Ⓐ作品のほうが面白いので多分続きは見ない。
20211127
岡村靖幸マイブーム。家庭教師名盤過ぎる……(今更?)。久しぶりに歌詞を覚えてしまった。別に歌詞に共感とかはあまりしていないのだが世界観が強固に構築されていて口ずさむと達成感がある。
『アイドルランドプリパラ』#01,#00を見た。#01は導入であまり面白くなかったが#00はお祭り騒ぎで面白かった。しかしプリパラの3Dは6年間あまり進化していない感じがする。この6年は3Dソシャゲなどで人々が3Dキャラを見る目が肥えた期間なのでちょっと見劣りするかもしれない。
IDOL CENTURY アイディアメモ#1|シン・オオバ|note
プリパラのプロデューサー、結構オールドタイプのオタクなんですね。ガンオタっぽい。
20211125
今日はとても冷え込んだ。雪が降った。
一定の割合の萌え絵の教本にはまず裸を描いてから体の線が残るように上から服を着せようとか書いてある。少なくとも現代萌え絵(の一部)がポルノを志向していることは否定できない。まあ私はポルノで何が悪い、と思うけど、オタクが「広告」に甘すぎるとも思う。
- 大塚英志編『運動としての大衆文化』を大塚の序文(「運動」する手塚治虫――「後衛」の実践)だけ読んだ。
- 内容的には『暮しのファシズム』や近年の手塚論で書いている戦時下論とかなり重複。
- 手塚の実験アニメ『JUMPING』(1984)はドローン的3D映像技術を先取りして志向している、シンエヴァもまた戦前から続く文化運動(機械芸術論とかのアヴァンギャルド)の末裔としてある、手塚の父親がアマチュア写真家で戦前の映像文化に関与していた可能性がある、というあたりは新しい小ネタ? 既出かも。
- 「大正新興芸術運動を企業広告からプロパガンダへと応用工学的に方法化し、視覚表現を中心に再編成していくより大きな流れ」(P.29)(プロパガンダとしての文化運動)が、戦後のまんが・アニメ・特撮の方法論と直結しているというのが論旨。
- 細々とした話が多くてそんなに面白くはない。
- 『彼岸花の咲く夜に』第二夜をクリアした。
- 二時間半くらいであっさり終わってしまったが内容も第一夜の焼き直しの印象が強い。妖怪というシステムについても自己言及をかなりしていて、これでこのシリーズは終わりにしますという感じか。
- 竜騎士はシステムを物語構造と語りに変換するが(アナログゲーマーだから?)、物語内においてはその変換されたシステムをキャラクターが幻視する。
- 今回のシステム=妖怪の存在根拠は「妖怪がいないとすると人間は身も蓋もない現実に耐えられない」「妖怪がいることによって人間は人間にとどまろうとする」あたり。
- まあなんか普通の民俗学的見地?
- しかしメインのキャラが弱くてロリコンショタコン教師陣が一番キャラ立ってるみたいな感じになっているし話もこじんまりとしていてそんなに面白くはない。
20211124
あまり内容を充実させようと思わずにブログを書く。
- 『ウルトラジャンプ』12月号を軽く眺めた。
- 若木民喜『結婚するって、本当ですか』4,5巻を読んだ。
- 絵がちょっとMTSPっぽくなっている気がする。ややのっぺりとして、ガタイがいい。
- 若木民喜はこの連載が始まる前に結婚したらしいのだが、2007年のブログなんかを見ると胸が締め付けられるような気分になる。 :: 2/20:アイヴ・ガッタ・フィーリング | HoneyDipped ::
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「本当は孤独ってめちゃくちゃ楽しい」 『ハヤテ』『神のみ』作者がそれでも「結婚漫画」を描く理由(後編):畑健二郎×若木民喜(1/3 ページ) - ねとらぼ
- この対談はかなりいろいろな情報が詰まっているが、若木民喜について考えるなら彼がゼロ年代エロゲーマーではなくて90年代エロゲーマーであることを考えなければいけないのだろうとは思う。
- まあそもそも偽装結婚とかいう設定が保守なんだよな。
- さいとうちほ『少女革命ウテナ After The Revolution』を読んだ
- リカチ『星降る王国のニナ』1巻を読んだ。
- ヤングガンガンで『咲』237話を読んだ。
- 選手入場回だが、尻というより女性器……という感じになっている。大丈夫か?
『継母の連れ子が元カノだった』4巻まで
少しだけ丁寧に生きざるをえないのかもしれない、ということでとりあえずブログを書く。
『継母の連れ子が元カノだった』を4巻まで読んだ。
作者の紙城境介は22歳のときに第1回集英社ライトノベル新人賞優秀賞(2014)でデビューしている。受賞作『ウィッチハント・カーテンコール』の著者紹介には「影響を受けた作品ツートップは『うみねこのなく頃に』と『JDCシリーズ』」と書かれていた。実際、流水のようなラジカルな言語的操作や竜騎士のような突き抜けた表現力と重層性こそないものの、少し気の利いた特殊設定ミステリにややうみねこっぽいやりとりをするキャラクターが出てくる作品で、わりと面白い。しかしこれは単純に売れなかったようだ。その後も一作集英社からラノベを出すが(読んでいない)、それもおそらく売れておらず、死んだかと思われたところでカクヨムに書いていた『継母の連れ子が元カノだった』がカクヨムWeb小説コンテストで大賞を取り書籍化→このラノなどでも取り上げられてめでたくアニメ化決定、という流れのようだ(リアルタイムで追っていないので間違っているかもしれない)。
この作品に手を付けたのは「現代ラブコメの研究」「ラノベ作家の魔改造について考える」「竜騎士フォロワー(公言している作家は比較的少ないように思われる)の動向観察」など複数のフラグが立ったからだが、これらの目的はあまり達成できていない。
内容的には『元カノ』『連れ子(義姉弟)』『幼馴染』『友達』といった概念を操作しつつイチャイチャ会話とシチュエーションを展開していくもので、パッケージとしての完成度は高い。顧客が求めているもの、という印象を受ける。
この作品には、個人に帰属する属性よりも関係性の概念によってキャラクターを記述しようとする傾向がある。作者は自称CP厨だが、CP厨の思想なのだろうか?(私はそれをあまり理解していない) 本作でも陽キャ・陰キャといった縮減された属性概念は残っているがそれは操作や価値判断の対象にはなっていない点がメタラブコメとは異なるだろう。女性主人公兼ヒロインの結女は「高校デビュー」をしているが、一貫して陰キャの本質を保っているし、それが問題になることはない。
属性はいくつあっても問題ないが、関係が複数化すると混乱と衝突が生じる。その衝突を利用して関係を成立させる価値中立なネットワークそのものの強度を上げていくのがこの作品の基本戦略だ(しかしそれはごく一般的な戦略でもある)。4巻のラストは、「元カノ」で「連れ子」の結女が二重関係を解消(止揚?)しようと決意するところで終わる。
視点人物の入れ替わりが目まぐるしい作品で、4巻時点で5人の視点が描かれているが、彼らの思考形式がほぼ同一であるという問題がある。基本的に全員、元カノ/元カレのことを今でも好きなんだけどそれを表明することは難しいので斜に構えるがたまに素直になる、という思考形式を守っている。2巻から登場する東頭いさなは元カノではないので少し外れているが……。
複数視点は個人に帰属する属性を無力化し、関係性のネットワークだけを強調する。基本的には「私」はフラットな存在であり、「属性」とは相性が悪い。いわゆるヒロイン視点のメリット・デメリットの多くがここに起因している。
ここで想起するのは、五等分の花嫁で最終的に五つ子の内面の差異がほぼ消滅していたことや100カノで恋太郎ファミリーが群体めいたカルト集団になっていることだが、なんらかの結論はまだ出せない。正直、別にラブコメラノベの流れとかと全く関係ない作品なんじゃないかなという気がしてきているんだよな……。
すでに消化試合感が出ているが続きも一応読んでおきたい。
雑感。
流水感・竜騎士感は皆無。
東頭いさなというやつが化物語の最低の部分を継承しているようでかなり厳しい。「振られたらもう振られないので最強になる」という思想のもとにベタベタしてくるやつなんだが、神原駿河とか阿良々木妹とかを思い出させるだらしなさだ。
しかしおそらく、いさなの造形目的は「彼女」を経由せずに「元カノ」になる、というようなところにあるはずだ(いさなは主人公の両親に元カノであると誤認される)。「彼女」や「元カノ」の概念を揺さぶることにはまあ失敗しているのだが、いさながいなければさらに読めないだろう。
死ぬほど適当な「自称フェミニスト」揶揄とかがさりげなく出てくると最低のライトノベルを読んでいるな、と嬉しくなってしまう(?)。
川波の恋愛ROM専という設定は失敗しているだろう。
3巻ラスト、告白絶叫大会問題。
主人公が「笑わない数学者」を修学旅行先で読んでいる、みたいな自意識の温存方法はいかがなものかと思う。私は魔改造を受けてもなお残る自意識の可能性を信じているところがあるが……。メタラブコメとはそれが顕著に現れたジャンルでもあっただろう。実はこの作者、2020に星海社で新本格っぽいのを出している。紙城はカクヨムでのセカンドデビュー?という経緯をたどったこともあって、編集者主導の魔改造ではなく自主改造的な要素が強いように思われる。削られるべき自意識=新本格性は温存されたまま作品別に分割された、という可能性があるので星海社の作品の方は読む予定。
20210407
私が最近大量に漫画を読んでいるのはこれ(https://tsutaya.tsite.jp/comicteigaku/index)です。
服部昇大『邦キチ! 映子さん』を3巻まで読んだ。見たことのない映画についての話はだいたい面白いが見たことのある映画についての話はつまらない。これは漫画的はったり・ペテンがうまくできているということだと思うので作品としてはよくできているような気がする。
曽根富美子『親なるもの・断崖』を読んだ。ジャンルとしてはおそらく左翼教育漫画。私は小学生の頃に大月書店のまんが日本の歴史とはだしのゲンを熟読していたので左翼教育漫画的なものは魂に刻まれていて嫌いになれません。室蘭遊郭の女性たちの話。共産主義者が特高の拷問を受けて半ば亡霊気味にさまよう存在になるのはちょっと印象的でうまく使えばいい感じになりそうだと思った。しかし「女を産んで育てろ」というのは「山岳ベースで子を産んで育てろ」(?)みたいな思想なのだろうか。ちょっとそれには乗れないが、悲しい話だった。
たなと『PERFECT FIT』全2巻を読んだ。BL。一時期『onBLUE』を読んでいた頃にかなり好きだったやつ。理系院生DQN身体障害者の攻が最高。
滝本竜彦『異世界ナンパ』のコミカライズ(https://urasunday.com/title/1581)を読んだ。ノーコメント。
亜南くじら『なのに、千輝くんが甘すぎる。』
3巻まで。
「少女漫画を馬鹿にする男が想像する架空の少女漫画」みたいですごかった。
第一話からめちゃくちゃ恋愛脳。片思いの男に振られたらすぐに合コンにいって次の恋を見つけようとする女子高生。そして顔がいい千輝くんのことを一瞬で好きになる。
かなり脈絡なく「きゅんきゅん」するイベントが定期的に発生するし、千輝くんがどうして主人公に甘いのかとかも全然わからないし(いや、「好きだから」以外ないのだが……)、「甘い」イベントも「……ペナルティキス、いくよ」みたいなノリで感動してしまう。藁人形じゃなかったのか……。
導入は「片思いごっこ」というメタラブコメタームっぽい偽の関係性で始まるが特に操作されることもなさそう。
「オタクを馬鹿にする人が想像する架空のオタク漫画」っぽいものがなにかあるかな、と考えてみたが「○○さん」系の二者関係ラブコメの一部とかはそういうところがあるかもしれない。あとまあ、異世界転生?
テスト
少しレイアウトと書き方を変えてみる。続かない気がする。