20190918

図書館。

『愚民社会』をちょっと読み直す。大塚と宮台がだべってるだけなんだけど、ヤサグレ気味の大塚が見れるのでファンにはおすすめ。とはいえ宮台が「人間関係がほしければ絆コストを払え」とか言ってるのみると資本主義やめろ友情は見返りを求めないって知らないのかよ……とは思う。しかし最近は私も土人がいるなあくらいのことはよく思うので邪悪な存在になってしまったかもしれない。

おたく☆まっしぐら』を再プレイしている。最高。ロミオにはヒロインを救うことはもう当然のようにできてしまうマッチョ性があるんだけど、大事なのはいつも救ったあとのことだ。生活は常に戦争の裏で進行している(その関係をぬるく描くとスクールカーストになるのだろう)。そういうロミオ的なあれこれがごろっと原形で提示されるゲームだと思う。あと単純にコメディのテキストがちょっと異次元に面白い……。よっしールートとか本当にすごいよ。

20190917

昨晩は日記を書き忘れていたので0918に書いている。

加藤幹郎『夢の分け前』を読んだ。理論よりの映画エッセイ。ガチのシネフィルだが蓮實重彦よりはスノッブ感がなくて好きになれる。京都は映画の街であり、京都を舞台にした物語はしばしば女性が物語の中心に位置し、京都をめぐる物語はつねに女性によって語られてきたのだ、という記述を読んでややウッとなったりなど。20世紀は精神分析・映画・ファシズムの時代というのが常識らしい(四方田犬彦あたりが元ネタなのか?)。神のいない時代に大衆の欲望を投影するもの?

実は一ヶ月くらい前に電動昇降机買ってて神なんですけど(座ってるのがだるくなったときに立ち作業にできるのだ)こうなるとやっぱり椅子のほうもいい椅子が欲しくなるんだよな……。しかし問題があって、現在自室の床が明らかにちょっと傾いているので椅子がよくても座り心地がよくなるのかどうか不安だ。

 

20190916

図書館に行った。携帯を持ち歩かないほうがいいということを実感している。

雲のむこう、約束の場所』の小説版(加納新太)を読む。上京パートが完全に秒速5センチメートルで驚いた。歴史修正は絶対にだめだという倫理も発動していて君の名はのことなどを思いなんともいえない気分になる。よかった。「届かないものへの憧れ」と「ヒロインへの思慕」は等価なものであって、しかしそれが一度交換されてしまえばもう不可逆であるというような人生の厳しさがある。

『FACTFULNESS』をぱらぱらとめくって気分が悪くなった。「貧困層は世界人口の7パーセントしかいません思ったより少ないですね」みたいなことを延々書き続けることで人々の認知にはバイアスがかかってるんですよということを書いているんだけど、人間を統計にしていく所作を見ていると大量死理論をとなえたくもなる。そして最終的に「世界はどんどんよくなっている」と結論づける。ここでも統計上の「不幸な人の割合」は減っている、というようなことが主な論拠だ。理論的なレベルでのツッコミとして割合では減っても人口自体が増えてるんだから200年前に比べて不幸な人は増えてるだろ……とかがあるんだけど実際に不幸か幸せかの判断はどうでもいいとして(狩猟採集民のほうが現代人より幸せだった、というようなサピエンス全史的な知見もそれはそれでクソだと思っている)、心情的な問題として「世界はどんどん悪くなっている」という認識は単なる現状認識を超えて「これから世界はどんどん悪くなるだろう」という未来への予感が現在の確信に転写されるものでもあるはずで、これについて「それは誤認識だ」と指摘することがこの著者にはできるんだろうけどじゃあこれから世界がどんどん悪くなるだろうという予感に対してその指摘はなにか意味があるのかというとないと思う。これは反知性と思われてもしかたがないのだが、統計を心から信じている(かのように振る舞っている)人のことをあまり信じていない。

宝石の国を読み直している。一巻が一番読みにくいんだけど、やっぱりファン的には一巻が一番よかったりするのだろうか。私は普通のストーリー漫画が好きなのでどんどん読みやすくなってありがたいと思っている。キャラがみんな好きなのでやはりいい漫画だと思う。

 

20190915

だらだらと過ごした。明日から本気出す。

まどマギの10話を見た。再放送を見ていて、さやか関連が死ぬほど長いこと以外はいいアニメかもしれないなと思うようになった。「私の戦場はここじゃない」はやはり名台詞だと思う。すべてが破滅したあとの台詞としてかなり完成度が高いし、ああ間違えているなということが一言でわかる。叛逆で一番の名台詞であるところの「また自分だけの時間に逃げ込むつもり?」が念頭にあるからほむら関連はちょっと安心して見れるところはある。

 

20190914

図書館に行ったが特に何もしていない。『雲のむこう、約束の場所』のノベライズを半分くらい読んだ。

今週のチェンソーマンとカイジを読む。チェンソーマンは面白いな……。意味不明なハンターハンターパロといえばブラックキャットですが、ブラックキャットが演出とセリフをそのままパクってシーンの意味を与えたのに対してチェンソーマンでは一つのセリフを入れるだけで公安退魔課は幻影旅団的なものが核にあるんだなということを示唆する。偏差値が高い。
それとジャンプで「Jラブコメ祭り」とかいう変な企画をやっていた。ジャンププラスにありそうなショート読み切りがいくつかという感じ。全体的に微妙で西尾維新原作のやつも全然面白くなかった。そもそも短編で一般人主人公に変人ヒロイン出して○○さんは××とかいうのはもはや厳しいのだが、でもみんな絵がうまくてまとまった話にはなっていてすごいな、とは思った。フォーマットの力もあるのかもしれない。

一ヶ月ほどかけて『探偵学園Q』を読み終えた。小学生の頃にある程度読んでいて、しかし中学以降は一度も読み返さなかった漫画。というのも、中学になって清涼院流水を読んだ私には、探偵学園Qという作品がJDCの成果をキバヤシと仲間たちが奪った作品のように感じられたからです。今読み返しても特に感想はなかった。別にそんなに悪い漫画だとは思わないが、あえて読む価値はない。金田一少年を読んだほうが良い(別に金田一も読まなくていいけど)。もっとも注目すべきは恐ろしいほどに絵のコピペを駆使している点。締め切りに間に合わないからとかではなく、完全に技術というか手抜きとしてコピペがあらゆる回に登場する。事件のゲスト初登場のキャラが次のページでなんの改変もせずに同じ顔で違うセリフを喋っているということが常に発生しており、メインキャラクターも見せ場を除けば相当の部分が使い回されている。普通に考えれば他の漫画家もそうすればいいと思うのだが、このレベルでやるとさすがに作品の空気がぎこちなくなるなと思う。

ゼノンザード、変な中毒性があってけっこうやってしまっている。本当に悪癖だ……。配信されていたアニメ版の0話を見た。感想はない。

 

20190913

朝少し考え事をしたあと図書館に行った。

図書館では集中できず、ほとんどなにもしていないが、少し英語の勉強をした。

今週のバキ道とはじめの一歩を読む。内容について特にコメントはない。はじめの一歩には期待していないが、信者なのでバキにはまだ期待している。


プリコネの王雀孫シナリオは結局読んでいないのだけど、オワライブがトラウマなので今の王雀孫のテキストを苦労して読む気にちょっとなれない。しかしTwitterを見る限り砂義氏もプリコネに回収されてるっぽくてサイゲゼロ年代サバイバーを集めてるっぽい。まあタイプムーンに回収されるよりはマシとは思う。

絵を描いて寝よう。

 

 

20190912

9時間くらい寝たら体調は治った。

図書館に行った。

『成熟と喪失』をざっと読み返す。全体の構成がまとまっておらず淡々と成熟や母について内省気味に書き続ける記述は本当に頭に入りにくい。正直大塚解釈経由でしか理解していません。

ユリイカタランティーノ特集号を流し読みする。やっぱ今の批評とか読めなくなっているなあ。だいたいどうでもいいことを書いているようにしか思えなかった。ゼロ年代サバイバーしか信用できない……。

ゼノンザードはさらに7時間くらいやったが、さすがに時間のムダだということに気がついたのでとりあえずもうやらないことにした。シナリオは一つだけ解放したが、短すぎてちょっと判断できなかった。新しいカードゲームのルールやテキストを覚えながら思考停止してゲームをするのは定期的にやってしまう。上遠野浩平スレあたりで重要な報告があったらまたやるかもしれない。全く関係ないがゼノンザードについて調べていたらかなり熱心な上遠野浩平信者でありかつネトウヨのオタクを見つけてしまいとても嫌な気持ちになった。ネトウヨが嫌いというより、ネトウヨを見ると世界への信頼がかなり下がるのでネトウヨが存在すること自体がつらい。先月あたりからは常に気分が悪い。

柴門ふみ『新・同棲時代』を読む。トレンディドラマとか言っても黄昏流星群との違いは年齢だけだよな……とか思いつつ軽く検索をかけたら柴門ふみ弘兼憲史が夫婦であることを知ってしまい笑う。世界があまりにも単純すぎる……。いや、上の世代にとっては常識なのだろうし完全に勉強不足だった。黄昏流星群といえば新海誠は好きなマンガを聞かれて黄昏流星群と何度か答えているのだった。トレンディドラマをちゃんと見たことはないのだけど、僕の理解では物語のように青春的な恋愛をあえていい大人が現代の地に足についた舞台でやる、みたいなジャンルを想定している。もしかしたらメタラブコメみたいな受容をされていた可能性があるのだろうか。

 

20190911

昨日の夜寝る前に『春の呪い』全2巻を読んだ。内容的には大変よかった……と言うほど良くはないのだけど、顔マンガというか表情マンガとしてのクオリティがとても高く、読んでいて飽きない満足感がある。主人公がとてもかわいい。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を見た。とても反応に困る映画。端的に歴史修正なのだが、懐古厨に振り切っているのと歴史修正の違和感を自覚的に描いているので修正をやめろとも思いにくい……と思ったが、LSDでトリップすることによって歴史修正が可能となるというのはむしろヒッピーの論理であって、やはり破綻してるんじゃないか? ダメかもしれない。69年のハリウッドはキラキラしていて、キャスティングに全力出したな……という感じはかなりあった。

帰りに天気の子のビジュアルガイドを立ち読みする。企画書に「最近トランプとかが地球が温暖化になってもいいんだ!と言っています」みたいなことが書いてあってそこから「天気なんて狂ったままでいい!」というのを着想したということが分かり衝撃を受ける。正気か? ちょっと新海誠には勝てないな、と素で思った。

帰宅したあとやや体調を崩す。なんか映画のスクリーンがやけに眩しく見える、と感じたのがフラグだったのかもしれない。早寝する。

20190910

図書館に行った。

『人身御供論』を読み終えた。非成熟のパラドクスはあらかじめ用意されてたんだなと思った。社会の側から見て個人が成熟するとは社会に全面的に依存することであり、個人にとって個人が成熟するとは社会から独立することである。「通過儀礼」の儀式も二重性を最初からもっており、一方では通過儀礼に失敗したやつが社会に捧げられる供犠となり一方では通過儀礼に成功したやつが社会の一員となる。成熟するとは依存することでありかつ、脱依存することである。社会に全面的に依存するとは「社会になる」ことでもある。非成熟のパラドクスは成熟概念の根本だ。

『ゼノンザード』を六時間くらいプレイした。なんかゲーム内でまったくシナリオが解放されないんだけどどういうことなんだ……。TCG部分については……流行らなさそうですね、という感じ。なんというか、かなり厳しいのではないか。シナリオはアニメとかでやるんだとしたらゲームをやらなくていいのでありがたくはある? ラヴィル・デヴィラとレヴィル・デヴィラはわりと上遠野浩平っぽい名前。もうこうなると上遠野先生ができるだけ労力を割いていないことを祈るフェイズに突入しそうな勢いだが……。

20190909

図書館に行った。

大塚英志『人身御供論』を途中まで読んだ。どことなく納得いかない話が多いが、ロジックとしてはよくできている。とはいえ、『わたしは真悟』を成熟の物語として読むというのはいくらなんでも偏狭にすぎるだろうとは思う。

最近よく食べるお菓子→ブラックサンダーアイス

今週のチェンソーマンとカイジを読んだ。チェンソーマンのバトルはちょっと大味で好みとは外れるが相変わらずハッタリは効いている。

録画していた『HIGH&LOW THE WORST』を6話まで。前シリーズがヤンキー漫画の土台の上に様々な想像力を積み上げていたのに、今回はWORSTとのコラボによって想像力が普通のヤンキー漫画にリセットされていて正直バカらしくて見てられない。前シリーズより面白いところは一つもないように見える。劇場版一作目は偶然的に誕生した奇跡の一作だったんだな、と思う。

ブックオフオンラインで店舗受け取りが一冊から無料になっていることに気付く。駿河屋がどんどん低質になってきているのでこっちのほうがマシな可能性あるか……? 図書館の近くにブックオフあるし一度使ってみる予定。

 

20190908

図書館に行った。

大塚英志村上春樹論』の読んだことのない文章(「村上春樹吉本ばなな」と「文学である大江健三郎と~」)を読む。既読の文章に書いてあることしか書いていなかった。

少し新海誠論を考える。正直にいうと大塚英志村上春樹論と三島由紀夫論を適当にパクれば文章らしきものは仕上がると思うんだが、さすがにそれは無意味なのでやらない。しかしそうなると変にオリジナルでキテレツな文章を書こうとして自爆する予感がするんだよな……。

最近はいつも昼食は松屋か松のやに行っていたのだが、気が向いたというか存在を10年ぶりくらいに思い出したので「みよしの」に行く。みよしのとは北海道だけに存在する餃子カレーのチェーン店です。明らかに松屋のカレーよりは美味しいので今後も行くことになると思う。

帰りに最強伝説黒沢を立ち読みした。もう一年くらい河原でぐだぐだ戦っているが、トネガワやハンチョウよりはずっと面白い。福本先生にはまだ切実さが残っている。

帰宅したあと少し落書きをした。去年の夏から今年の春くらいまでは色々あって絵を完全にサボっていたのだが、リハビリをしている。顔しか描いてない。こーゆーのをグリグリ描くのは多少の虚無感があるとはいえ楽しくなくはないということを思い出している。

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20190907

文章を書くことになりそうなのでリハビリ的にしばらく更新を再開したい。ただの日記。

午前にユニクロ紀伊國屋書店によってから図書館に行った。

『複製の廃墟』の三島論を適当に流し読みしたところ完全に大塚英志の三島論の元ネタだった。とはいえ大塚のほうが細かいところをだいぶ省いて易しく書かれてるので参照するときは大塚を使う。なんだかんだいって大塚理論のツールとしての使いやすさはガチ。

加藤幹郎『表象と批評』の新海論も読んだ。かなりちゃんとしているので一読の価値があると思う。

今週のファミ通に『ゼノンザード』関連で三木一馬と開発スタッフのインタビューが掲載されており、思っていたより上遠野浩平の関与が大きいようで驚く。設定とキャラ全部上遠野浩平にやらせている? 0910にリリースするようなので、とりあえず手をつけることは確定している。絶対統和機構出してほしい。高橋和希がマーベルコラボ漫画でデュエルさせてるのも良かったし作家による企画の私物化くらいしか世の中を信じられるようになる出来事がない。

最近木村幹の本を何冊か読んでいる。ややインテレクチュアル・ダークウェブ的な傾向がある人だとは思うが、自分が同じ知識を持っていたらまあ同じように振る舞うだろうな、というような振る舞いをしている人なのである程度は信頼している。『朝鮮/韓国ナショナリズムと小国意識』はヘーゲル引用に始まりヘーゲル引用に終わる本だったりして、根が理論屋なんだろうなあと少し好感度が上がる。まじめな歴史本で途中まではあまりおもしろくないが、現代史になってからはかなりおもしろい。「国」という集団に対する精神分析的な側面はあって(岸田秀的な?)、そういうのって個人的には好きだけどどのくらい正当性があるのかなとは思う。正直にいうと世の中のことを考えるのは本当にいやでつらいのだが、最近は考えてしまうことが多い。

チェンソーマンに今後登場する悪魔を考えるのは、「直球は外しつつも狙いすぎない」というラインを考える必要があるのでけっこう楽しい。「男の悪魔」か「壁の悪魔」あたりが出てくると予想。

明日も図書館にいく。というか、この半年くらいほぼ毎日図書館に行っている。

 

20171116

 えんびたんさん氏と君野友成氏がいつの間にかバンドリ始めてたことで謎の危機感を覚えてバンドリ始めてしまった。ランク30くらいでシナリオあんまり読めてないけど良心的なゲームなんじゃないかと思う。悪質なファンが福祉とか介護などと表現しているような、いたれりつくせりな感じは少し居心地が悪いけれど。なにか新しいことが達成されているのかどうかはちょっと判断できていない。キャラでは白鷺千聖と弦巻こころが気になるかな。基本的に自己完結してるキャラが好きなので……。